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野辺地駅
駅舎(2023年9月)
のへじ
Noheji
所在地青森県上北郡野辺地町字上小中野49-2.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度51分19.51秒 東経141度7分11.14秒 / 北緯40.8554194度 東経141.1197611度 / 40.8554194; 141.1197611座標: 北緯40度51分19.51秒 東経141度7分11.14秒 / 北緯40.8554194度 東経141.1197611度 / 40.8554194; 141.1197611
所属事業者
青い森鉄道
東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号ノチ
駅構造地上駅
ホーム3面5線
乗車人員
-統計年度-(JR東日本)-2022年-
202人/日(降車客含まず)
乗降人員
-統計年度-(青い森鉄道)-2019年-
1,486人/日
開業年月日1891年(明治24年)9月1日[1]
乗入路線 2 路線
所属路線■青い森鉄道線(青い森鉄道)
キロ程77.3 km(目時起点)
東京から694.6 km
◄千曳 (6.4 km) (6.5 km) 狩場沢►
所属路線■大湊線(JR東日本)
キロ程0.0 km(野辺地起点)
(2.8 km) 北野辺地►
備考
共同使用駅(青い森鉄道の管轄駅)
直営駅(管理駅)
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野辺地駅
跨線橋から撮影した南部縦貫線ホーム(1997年3月)
のへじ
NOHEJI
(5.6 km) 西千曳►
所在地青森県上北郡野辺地町字上小中野
所属事業者南部縦貫鉄道
所属路線南部縦貫鉄道線
キロ程0.0 km(野辺地起点)
駅構造地上駅
ホーム1面1線
開業年月日1968年(昭和43年)8月5日
廃止年月日2002年(平成14年)8月1日[* 1]
^ 1997年(平成9年)5月6日から休止。
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野辺地駅(のへじえき)は、青森県上北郡野辺地町字上小中野にある青い森鉄道・東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅。両社の共同使用駅。
概要鉄道記念物となっている鉄道防雪林(2010年6月)
青い森鉄道の青い森鉄道線とJR東日本の大湊線が乗り入れ、接続駅となっている。大湊線は当駅が起点である。
青い森鉄道線は、元々はJR東日本(1987年(昭和62年)までは日本国有鉄道)の東北本線の一部であり、上野発着の夜行列車や昼行特急「つがる」「白鳥」「スーパー白鳥」などの優等列車が停車していた。しかし、2010年(平成22年)12月4日に東北新幹線が新青森駅まで延伸されたことに伴う並行在来線の経営分離により、駅施設は青森県に譲渡された。また、この時から大湊線はほかのJR東日本の路線と接続せず孤立した路線となっている(JRにおける当駅の所属線は、東北本線から大湊線に変更されている)。
かつては、上記路線に加えて南部縦貫鉄道線も乗り入れていたが、1997年に休止されたのち、2002年に廃止された。しばらくは通路が閉鎖され、線路も外されただけでそのまま手付かずで残っていたが、跨線橋が2003年秋に撤去され、残されていた駅舎とホームも2005年に全て解体撤去された。
1893年(明治26年)5月に造林した日本で最初の鉄道防雪林があり、第14号鉄道記念物に指定されている[2]。
歴史
1891年(明治24年)9月1日:日本鉄道の駅として開業する[1]。
1893年(明治26年)5月:防雪林が造林される。
1902年(明治35年)11月11日:電報取扱開始[3]。
1906年(明治39年)7月1日:日本鉄道が国有化され、官設鉄道の駅となる[1]。
1921年(大正10年)3月20日:大湊軽便線(大湊線)が開業する[4]。
1954年(昭和29年)3月15日:13時15分ごろ、在日米軍三沢基地所属のF-84戦闘機が墜落し、駅施設も被害が発生する。
この事故により、保線区員ら12名が負傷した。墜落機は駅長公舎を大破、保線区事務所を全壊、停留中の貨車1台を全焼したほか、東北本線の1 - 3番線をバウンドし、大湊線上りホームの先端付近に突っ込んだ形となった。これにより深さ2 m、直径3 mの穴を開けたほか、機体は大破し50 mの範囲に散乱した。なお、同機パイロットは上空50 m付近で脱出したがパラシュートが開かず墜落したのち、同基地所属のヘリコプターで移送されたが死亡が確認された[5]。
1960年(昭和35年)10月14日:防雪林が鉄道記念物(第14号)に指定される。
1962年(昭和37年)7月19日:鉄筋コンクリート造平屋建ての駅舎に改築(2代目)[6]。
1968年(昭和43年)8月5日:南部縦貫鉄道が西千曳駅から延伸し、当駅に接続する。