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出典検索?: "野茂英雄"
野茂 英雄2011年2月16日 日南市天福球場
基本情報
国籍 日本
出身地大阪府大阪市港区
生年月日 (1968-08-31) 1968年8月31日(55歳)
身長
体重6' 2" =約188 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1989年 ドラフト1位
初出場NPB / 1990年4月10日
MLB / 1995年5月2日
最終出場NPB / 1994年8月24日
MLB / 2008年4月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
大阪府立成城工業高等学校
新日本製鐵堺
近鉄バファローズ (1990 - 1994)
ロサンゼルス・ドジャース (1995 - 1998)
ニューヨーク・メッツ (1998)
ミルウォーキー・ブルワーズ (1999)
デトロイト・タイガース (2000)
ボストン・レッドソックス (2001)
ロサンゼルス・ドジャース (2002 - 2004)
タンパベイ・デビルレイズ (2005)
レオネス・デル・カラカス (2007)
カンザスシティ・ロイヤルズ (2008)
国際大会
代表チーム 日本
五輪1988年
野球殿堂(日本) 殿堂表彰者
選出年2014年
得票率82.4%(324票中243票)
選出方法競技者表彰
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野茂 英雄(のも ひでお、1968年〈昭和43年〉8月31日 - )は、大阪府大阪市港区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのサンディエゴ・パドレスでアドバイザーを務める。 「トルネード投法」と呼ばれる独特なフォームから繰り出されるフォークなどで三振を量産し、日本プロ野球(以下:NPB)とメジャーリーグベースボール(以下:MLB)で活躍した。 NPB時代はパリーグ初の沢村栄治賞を受賞(大阪近鉄バファローズが存在した時代に受賞した唯一の近鉄出身投手でもある)、平成初の投手三冠王を達成、パ・リーグ最多タイ記録となる最多勝利を4回獲得している。 MLB時代にはノーヒットノーランを2回達成、最多奪三振を2回獲得、新人王受賞といういずれもアジア人史上初の偉業を成し遂げている[1][2]。 2016年2月からサンディエゴ・パドレスのアドバイザーに就任[3][4][5]。 長男は2015年から2018年まで北海道日本ハムファイターズの球団通訳を務めた野茂貴裕[6][7][8][9]。また、シンレンサイのメンバー、水戸キャップは遠戚にあたる。 小・中学校時代は全くの無名選手であったが、「体を捻って投げると直球の威力が増す」と理解し、後のトルネード投法の原型となるフォームで投げていた。高校は近大附など名門野球部のセレクションをいくつか受けるも不合格となり、大阪府立成城工業高等学校(現・大阪府立成城高等学校)に進学する。高校では2年生からエースとなり、1985年7月19日に全国高等学校野球選手権大阪大会2回戦の大阪府立生野高等学校戦で完全試合を達成。3年時はベスト16(5回戦)進出などの成績を残す。高校時代の監督は後年その投法を振り返り、トルネードほど捻らないがその片鱗を感じたという意味で「つむじ風投法」と名付けた。 高校卒業時に既にプロから誘いがあったが、新日本製鐵堺へ入社(勤務先は子会社の新日鐵化学の総務部)。新日鐵化学での当時の給料は額面で11万9000円、手取りでは9万円ほど。新日鐵堺での1年目にはスライダーを習得できなかったため、最大の武器となるフォークボールを習得。2年目の1988年には都市対抗に出場。1回戦でNTT東京に完投勝ち、2回戦でも延長17回を投げ抜き大昭和製紙にサヨナラ勝ちを飾る。
概要
経歴
プロ入り前