野田山
野田山(のだやま)は、石川県金沢市の市街地からほど近い山である。
頂上近くに国土地理院の三等三角点(「野田山」と命名)があり、その標高は175.09mだが、山の最高点はここから南東方にあり、地形図の等高線から標高180mを越えると考えられる。
頂上付近にはリンゴ園があり、市街地に面した北側のなだらかな斜面には野田山墓地が広がる。麓には大乗寺がある。 1587年(天正15年)前田利家が兄利久を葬ったのが始まり。その後、利家本人もここに葬られ前田家の墓所となり、さらに家臣、町人、百姓など身分、宗派に関わらない墓地となった。現在はおおむね前田家墓所、市営墓地、および石川県が陸軍から引き継いだ戦没者墓地の3つのエリアに分別される。 加賀藩の藩主であった前田家の墓所である。江戸時代の大名家の墓所としては、会津藩のものに次ぐ規模を持つ。殉死者の墓もこのエリアに含まれる。 2009年2月12日、富山県高岡市の前田利長墓所と合わせて、「加賀藩主前田家墓所」の名称で国の史跡に指定された[1]。 金沢市が管理する。明治時代に金沢を離れた人たちの先祖の墓が近年無縁墓となるケースが急増しており、調査が進められている。ここに葬られている人たちには などがいる。 戊辰戦争から太平洋戦争の主に陸軍関係者の墓地であるが、日露戦争のロシア人捕虜たちも、このエリアに葬られている。1962年から石川県が管理している。 三角点が立つ微高地は「野田山三角点古墳」[3]に指定されている。 直径42mの円墳で、北加賀では最大級の規模を持つが、周囲との比高は2?3mと、直径に比して低平な墳丘である。尾根側には幅8mの溝、斜面には幅1.5mのテラス状整形を施すことで周囲との境としている。 年代を確認する遺物資料を得ていないが、低平な墳丘から、定形化古墳が出現する以前の4世紀段階の所産と考えられている。
野田山墓地
前田家墓所
市営墓地
島田一良
銭屋五兵衛
室生犀星
鈴木大拙
戦没者墓苑
尹奉吉碑 『尹奉吉義士暗葬之跡』の碑文が刻まれた石碑(石川県金沢市)
野田山三角点古墳
脚注”. 金沢市. 2018年10月6日閲覧。
^ ⇒梅軒尹奉吉義士 殉国80周年記念追悼式 在日本大韓民国民団 2012/12/20
^ 「北加賀地域古墳群分布調査報告」『石川考古学研究会々誌 第22号』石川考古学研究会(1979年)
関連項目
前田利長墓所(富山県高岡市にある加賀藩2代藩主の前田利長の墓所)
長坂二子塚古墳(野田山山麓に位置する前方後円墳)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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