野球ユニフォーム
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ユニフォーム姿の野球選手(イチロー

野球ユニフォーム(やきゅうユニフォーム)は野球選手が着用するユニフォームシャツジャージ)、アンダーシャツパンツ帽子ストッキングなどによって構成される。

チーム全員が揃いの服装で試合に臨んだ最初のチームは、近代野球ルールを考案したアレキサンダー・カートライト1845年に結成したニューヨーク・ニッカーボッカーズである[1]

ユニフォームのレプリカまたオーセンティックモデル[注釈 1] や、派生したブランド商品の売り上げは、プロチームの大きな収入源となっている。
歴史
黎明期ニューヨーク・ニッカボッカーズ(向かって左)と対戦相手のチーム[注釈 2] 1858年シンシナティ・レッドストッキングス 1868年

1849年4月4日の試合において、ニューヨーク・ニッカボッカーズが史上初めて揃いのユニフォームを着用した。その時の服装は青いウールのズボンと白いフランネルのシャツ、そして麦わら帽子であった[1][2]。ニッカボッカーズのユニフォームはその名称とは裏腹に踝まである通常の長ズボンであったが、現在まで続く膝丈のパンツにストッキングという様式を初めて採用したのが1867年に誕生したシンシナティ・レッドストッキングスである。レッドストッキングスは最初のプロ野球チームとして各地を興行し、その後の野球ユニフォームのスタイルを決定づけた。ユニフォームを着用するという慣習はすぐに広まり、1900年までに全てのメジャーリーグベースボールチームが採用した[3]。レッドストッキングスが採用したことで初期の標準形となっていた胸当て付きのシャツは1897年のボストン・ビーンイーターズ(現アトランタ・ブレーブス)を最後に姿を消し、以降は現在にまで続くシングルブレストのボタンフロントが主流となっていった[4]
ホーム用とビジター用のユニフォーム2012年のニューヨーク・ヤンキースのユニフォーム
左のピンストライプのユニフォームがホーム用、右のグレーのユニフォームがビジター用

プロ野球の球団はホーム及びアウェイ用に2種類以上のユニフォームデザインを用意しており、多くのチームは白色を基色とするホームゲーム用にニックネーム、灰色またはその他の濃色をベースとするビジターゲーム用に都市名を入れている。

1880年代には、ポジションごとに異なる色や柄のユニフォームを着用し、ストッキングの色のみで所属チームを識別するという試みも行われたが定着しなかった[5]。1888年にはナショナルリーグデトロイト・ウルバリンズワシントン・ナショナルズ[6]、またアメリカン・アソシエーションのブルックリン・ブライドグルームス(現ロサンゼルス・ドジャース)が初めてストライプのユニフォームを使用した[7]。ブルックリン・ブライドグルームスは1889年にチェック柄のユニフォームを使用し、それを1907年(スーパーバス時代)と1916-1917年(ロビンス時代)に復活させた[8][9]。サテン(本しゅす)のユニフォームは繊維の光沢がより光を反射して見やすいので、ブルックリン・ドジャースを含む複数のチームによってナイトゲーム用として採用された[8]

19世紀の終わりまでに、本拠地の野球場での試合(ホームゲーム)用と相手チームの球場での試合(ビジターゲーム)用の2種類のユニフォームを使い分けるという慣習が定着した。ホームでは白いユニフォーム、ビジターではグレーや無地の紺、黒などのユニフォームを着ることが一般的となった[3]。この習慣の初期の例として1907年にビジター用として青いデザインのユニフォームを使用し始めたブルックリン・スーパーバス(現ロサンゼルス・ドジャース)が挙げられる[3]

1916年にはサンフランシスコ・ジャイアンツのビジター用ユニフォームに紫の線のタータン柄が登場し、他の種類のビジター用ユニフォームは無地の紺、もしくは黒の生地で周りが白いものだった。カンザスシティ・アスレチックス(現オークランド・アスレチックス)のホーム用、ビジター用のユニフォームは1963年にチャーリー・O・フィンリーによって金色と緑色に変更された[10]。一部のチームは1970年代から1990年代初頭にかけて水色のビジター用ユニフォームを使用した[3]。初期のストライプ模様はユニフォームの長さに合わせて、ピンストライプ(細縞)と呼ばれる長いストライプ模様に発展した。1907年にメジャーリーグの一部のチームが初めてこのピンストライプを採用し、観衆がよりはっきり選手達を見えるように1912年に広まった[3]
背番号

試合用のユニフォームには、選手を識別するために背番号が入れられる。プロ野球においては個人名を入れることも一般的である。

1916年にはクリーブランド・インディアンスが初めてユニフォームに番号をつけた。番号はホーム用ユニフォームの左袖だけにつけられた[3][11]。1929年にはニューヨーク・ヤンキースとクリーブランド・インディアンスが初めて番号をユニフォームの背中につけた。1932年までにメジャーリーグの全てのチームが選手達のユニフォームに番号をつけるようになった[3]。1952年にはブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)がユニフォームの前面に番号をつけた初めての野球チームとなった[3][8]

背番号は通常1桁ないし2桁だが、日本プロ野球で育成選手として登録される選手は3桁の番号をつけることになっている。メジャーリーグのチームは概して春の練習で、レギュラーシーズンのロースターには登録されそうにない選手に数字が大きい番号(#50以上)を割り当てる。したがって数字の小さい番号は一流選手の証と考えられるが、数字の大きい番号を好んでつけるベテラン選手も少なくない。50台以上の背番号でアメリカ野球殿堂に殿堂入りした選手は、ブルックリン・ドジャースとロサンゼルス・ドジャースで#53をつけたドン・ドライスデールと、シカゴ・ホワイトソックスで#72をつけたカールトン・フィスクの二人である。
帽子「野球帽」も参照オークランド・アスレチックスの野球帽

1840年代から1870年代にかけてはかぶり物に関する公式なルールがなかったために、野球選手は様々な種類の帽子をかぶったり、もしくは何もかぶらずにプレイした[12]


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