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やノートページでの議論にご協力ください。本項では野球の背番号(やきゅうのせばんごう)について解説する。 背番号は、選手の識別のためにユニフォームの背中に大きく入れる数字である。チームにより、胸にも小さく同じ数字を入れたり、まれに袖にも数字を付ける場合もある。 背番号は1883年にシンシナティのチームが要求したことに起源をもつが、これは文書化されるに至らなかった[1]。その後、1916年にクリーブランド・インディアンスがユニフォームに初めて番号を入れたが、それは袖の位置に番号を入れたものであった[1]。野球で最初に背番号が使われたのは1929年のニューヨーク・ヤンキースである[1][2]。 今でこそユニフォームに背番号が付いているのは当たり前の風景であるが、初めて背番号を採用したのは1929年のことである。1876年に始まったメジャーリーグベースボールでは選手達は実に50年以上背番号も名前も付いていないユニフォームでプレーしていたが、観客にとってはそれほど不便でもなかった。球場ではスコアカードが販売され、選手ごとに番号が振られておりスコアボードにその番号が掲示されていたため、観客はカードと照合して選手を判別していた。そのためスコアカードは観戦の必須アイテムであり球団の重要な収入源でもあった。 しかしホームチームの番号は固定されているものの、ビジター選手の番号は毎回バラバラの番号でありビジターファンにとっては不親切であった。個別に番号をユニフォームに表示しようという試みもすでに19世紀末に行われてはいたが、スコアカードの収入が失われるなどの経済事情などから定着するに至らず、また選手からも「番号を振られるのは囚人みたいだ」と敬遠された。ちなみにカレッジフットボールでは1910年代に既に番号を導入しており野球界はずっと遅れていた。 初めての大きな試みは1916年、クリーブランド・インディアンスが袖番号を導入したことである。しかし袖では数字が小さすぎるなど不評が多かったためすぐに廃止された。1924年にはセントルイス・カージナルスが年間を通じて袖番号を導入、打順に応じて番号が振り当てられ、1番打者のマックス・フラック 初めて正式に背番号を採用したのは、1929年のニューヨーク・ヤンキースである。当時の背番号はカージナルスの袖番号と同じく1番打者が1、2番打者が2という風に、8まで打順通りに割りふられていた。そして、その頃は捕手が8番を打つことが多かったので、8が捕手の番号となり、9は控え捕手に与えられた。そして投手は、11 - 21までの番号をつけることになった。ヤンキースはホーム・ロード共に背番号を付け、インディアンスもホームのみで背番号を採用したが3番打者のアール・アベリル(中堅手)の背番号は5であったことから打順もポジションも関係なく付けられたと思われる。
概要
メジャーリーグベースボール詳細は「メジャーリーグベースボールの背番号」を参照
導入までの経緯