野火止
町丁
平林寺
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}野火止野火止の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度48分9.47秒 東経139度33分25.87秒 / 北緯35.8026306度 東経139.5571861度 / 35.8026306; 139.5571861
国 日本
都道府県 埼玉県
市町村 新座市
人口(2017年(平成29年)1月1日現在)[1]
? 合計31,845人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号352-0011[2]
市外局番048[3]
ナンバープレート所沢
野火止(のびとめ)は、埼玉県新座市の町名。現行行政地名は野火止一丁目から八丁目。郵便番号は352-0011[2]。 埼玉県新座市中央部、新座駅周辺一帯に位置している。区画整理事業が行われ、宅地化が進んでいる。北東から南西にかけて野火止用水が流れる。南西の境は関越自動車道が通っている。平林寺の緑地などが保全され、かつての武蔵野の風景も残る。東京都との県境近くで、2丁目は都営地下鉄大江戸線延伸計画における新座中央駅予定地の北側にあたり、大規模な開発構想がある。 もとは江戸期より存在した新座郡野方領に属する野火止宿で、古くは室町期(文明18年[4])に記された『廻国雑記』より見出せる新座郡のうちの地名の野火止塚であった[4]。野火止は野火留とも記された。 昔、焼き畑が行われた頃に、その火が人家に及ばないように、塚や堤を築いて止めたことによる【埼玉県地名辞典 韮塚一三郎 関東図書】[5]。古くは野火止塚に由来し、文明年間に記された「廻国雑記
地理
河川
野火止用水
歴史
地名の由来
沿革
知行ははじめは川越藩領で、1705年(宝永2年)より上野高崎藩領となる[4]。
1663年(寛文3年) - 平林寺が岩槻(現岩槻区平林寺)より当地に遷座する[4]。
幕末時点では新座郡野火止宿であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、高崎藩が管轄する高崎藩領であった[9]。
時期不明(明治初期) - 野火止宿を改称して野火止村となる[4]。
1871年(明治4年)
7月14日 - 廃藩置県により、高崎県[9]となる。
11月14日 - 第1次府県統合により、入間県の管轄となる。
1873年(明治6年)6月15日 - 入間県が群馬県(第1次)と合併して熊谷県の管轄となる。
1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により、埼玉県の管轄となる。
1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した新座郡に属す。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴ない、大和田町と野火止村、北野村、菅沢村、西堀村が合併し、新座郡大和田町が成立。野火止村は大和田町の大字野火止となる。
1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行(同年3月29日)に伴ない、新座郡が北足立郡へ編入され、北足立郡に属す。
1955年(昭和30年)3月1日 - 大和田町と片山村が合併し、新座町が成立。新座町の大字となる。なお、同年大和田公民館が地内に開設される[4]。
1965年(昭和40年)4月1日 - 地内に新座町立新座中学校(現新座市立新座中学校)が設立される。
1970年(昭和45年)11月1日 - 市制施行により、新座市の大字となる。
1973年(昭和48年)
4月1日 - 地内に国鉄武蔵野線が建設され、新座駅と新座貨物ターミナル駅が開業する[4]。
7月1日 - 住居表示の実施に伴ない、大字野火止の一部があたご一丁目・三丁目[10]、石神一丁目・五丁目、新堀一丁目・二丁目、西堀一丁目、本多の各一部となる[11]。