日本の政治家野沢 太三のざわ だいぞう
2003年 小泉内閣にて法務大臣就任に際し、官邸が公表した肖像写真
生年月日 (1933-05-06) 1933年5月6日(91歳)
出生地 日本・長野県上伊那郡辰野町
出身校東京大学工学部土木工学科
前職日本国有鉄道社員
所属政党自由民主党
称号工学博士
第72・73代 法務大臣
内閣第1次小泉内閣 (第2次改造)・第2次小泉内閣
参議院議員
選挙区比例区
当選回数3回
在任期間1986年 - 2004年
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野沢 太三(のざわ だいぞう、1933年5月6日 - )は、日本の技術士、工学博士、政治家。元参議院議員(3期)、元法務大臣(第72代・73代)[1][2]。「沢」の戸籍上の記載は「澤」。日韓トンネル研究会会長[3]。 長野県上伊那郡辰野町出身。東京大学工学部土木工学科を卒業後、日本国有鉄道に入社し、大阪鉄道管理局施設部長、長野鉄道管理局長、本社施設局長を歴任。一貫して技術畑を歩む。 1986年、第14回参議院議員通常選挙に比例区から自由民主党公認で出馬し、初当選。当選後、北海道開発政務次官を出発点に、参議院では外務委員長、決算委員長を歴任。2002年10月18日、参議院憲法調査会会長に就任。その後小泉再改造内閣で法務大臣に就任。第20回参議院議員通常選挙に出馬せず、参議院議員の任期は満了し、2004年9月27日の内閣改造によって法務大臣を退任した(64日間は民間人閣僚扱いとなった)。参議院議員引退後、自由民主党東京都支部連合会党紀委員長に就任。 2006年5月31日、日韓トンネル研究会会長に就任[3]。
来歴
法務大臣として死刑制度退任間際、2人の死刑囚に対する死刑執行を命令した。特に、附属池田小事件の犯人に対し、刑の確定からわずか1年余りでの執行を命じたことが様々な議論を呼んだ。もう1人は、熊本保険金殺人事件
諮問事項
2004年2月10日、(1)法定刑の引上げを柱とする刑法と刑事訴訟法の改正、(2)人名に使える漢字を最低五百字以上増やす方針から、子どもの命名に用いることのできる漢字(人名用漢字)の範囲の見直し(最低500字以上増やす)など四案件について、法制審議会(会長・鳥居淳子成城大教授)に諮問した。
続柄記載
東京地方裁判所は2004年3月2日の続柄記載訴訟判決で、事実婚などによって、法律上結婚していない両親の子ども(非嫡出子=婚外子)が戸籍の続柄欄記載に「男」「女」と記載されるのに対し、婚姻届を提出した親の子ども(嫡出子)の記載で「長男」「長女」と記載される区別記載について、「非嫡出子であることを明示する合理性は乏しく、記載は限度を超えており、プライバシー権の侵害」であると判示した。これに対応して野沢法務大臣は、3月9日、参議院決算委員会で、民主党・円より子(山崎順子)議員の質問に対し、区別記載をなくす方針を表明。翌日、閣議後の記者会見で、年内をめどとして戸籍法施行規則(省令)を改正したいとの意向を明らかにした[5]。
憲法議連
野沢法務大臣は法務大臣就任後も、2004年3月30日に開かれた憲法調査推進議員連盟