野村邦丸
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のむら くにまる野村 邦丸
プロフィール
本名野村 邦夫
(のむら くにお)
愛称ドラ(ちゃん)(
茨城放送時代
出身地 日本神奈川県川崎市川崎区京町
生年月日 (1957-01-17) 1957年1月17日(67歳)
血液型A型
最終学歴日本大学法学部新聞学科卒業
所属事務所JCM(セントラルミュージック)
職歴茨城放送文化放送 → フリー
活動期間1981年 -
ジャンル情報番組
バラエティ番組
公式サイト文化放送による公式プロフィール
セントラルミュージック 野村邦丸 プロフィール
出演番組・活動
出演中くにまる食堂
出演経歴くにまるジャパン 極
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ

野村 邦丸(のむら くにまる、1957年1月17日 - )は日本のフリーアナウンサー。茨城放送(現在のLuckyFM茨城放送)・文化放送の元アナウンサー。本名は野村 邦夫(のむら くにお)。身長は167cm、体重83kg

神奈川県川崎市川崎区出身。日本大学明誠高等学校日本大学法学部新聞学科卒業後、茨城放送に入社した。同社アナウンサー、フリーアナウンサーとして活動後、中途採用で文化放送に入社した。2017年1月31日に同社を定年退職し、2月1日から株式会社 セントラルミュージック (JCM) 所属[1]のフリーアナウンサーとなった。
担当番組
現在の担当番組

くにまる食堂(文化放送、2022年4月4日から2024年3月29日までは月 - 金、2024年4月1日以降は月 - 木)

ビューティフル・メロディーズ?よみがえる青春のポップス(文化放送、2023年1月2日 - 、2024年4月5日以降は毎週金曜日『くにまる食堂フライデー ?どうした!?一蔵!?』内で11時38分ごろ - 11時46分ごろ)

過去の担当番組
文化放送

文化放送ライオンズナイター

文化放送ホームランナイター

邦丸・ナースのラジオ横丁一番地(1991年10月 - 1993年3月)

ピッピッポーン! まんまる玉子の邦丸じゃ(1994年4月 - 1997年3月)

野村邦丸の夕焼けアタックル(1997年4月 - 1999年3月)

スポーツバンザイ 邦丸がゆく(1997年4月 - 1997年9月)

サンデースペシャル にちよう道楽王(1997年10月 - 1999年3月)

野村邦丸の気分はZUNZUN!(1999年4月 - 2002年9月)

野村邦丸のごきげん!二重丸◎(2002年10月 - 2005年3月)

くにまるワイド ごぜんさま? (2005年4月 - 2010年9月)

くにまるジャパン(2010年10月 - 2016年9月 

くにまるジャパン 極(2016年10月 - 2022年3月) - 文化放送退社後も引き続き担当


競艇関連情報番組(ナイターシーズン 日曜 16時30分 - 16時55分、ナイターオフ 日曜 16時00分 - 16時55分)

遠藤久美子のパステルターン(2002年4月 - 2003年12月)

山本譲二・野村邦丸 マクリ注意報!(2004年1月 - 2007年9月)

兵藤ゆき・野村邦丸ブイブイトーク(2007年10月7日 - 2011年4月3日)

もっと! 遊ぼーと!!(2011年4月10日 - 2013年3月31日)

圭市・邦丸☆ドリボート (2013年4月7日 - 2016年3月27日)

MAX・邦丸 Ride on Boat (日曜 16時00分 - 16時55分、2016年4月3日 - 2020年3月29日)


かに道楽の春夏秋冬 おいしい話

宏子先生の動物クリニック

玉川美沙 たまなび(「クイズたまってチャリンジ」問題出題、平日16時55分ごろ・17時13分ごろ、2009年4月 - 2010年10月1日)

阪神淡路大震災から15年 ひょうごから伝えます(2010年1月11日 8時30分 - 11時00分)ラジオ関西と文化放送の共同制作)

茨城放送

若者通り22時 夜はこれから
(金曜日担当)

ザ・モーニング 野村邦夫です

エピソード

マイクネームの邦丸は、1991年のナイターオフ番組「邦丸・ナースのラジオ横丁一番地」のパーソナリティーに起用される際、先輩で元文化放送アナウンサーの菅野詩朗が野村本人に告知せず命名した[2]

茨城放送時代の愛称は、野村の体型をドラえもんに例えて「ドラ(ちゃん)」だった。

茨城放送で『若者通り22時 夜はこれから』のパーソナリティを務めていた時、局舎の前でこたつに入って豚汁を食べながら放送したが、聴取者が続々と訪れて道路が渋滞した[3]

茨城放送アナウンサー時代に、あるレコード会社からレコードのリリースの話を受けたことがある[3](後に自分の単独ではないが、#CDの節にあるように自分が参加するCDをリリースしている)。

野村の受験時、文化放送は野球実況が出来るスポーツアナウンサーを中途採用するため、応募に際して実況録音テープの提出を義務付けていた。野村は実況に自信がなかったが茨城放送時代の自分の実況テープを聴いて「所々、上手いところがあるなあ」と感じた。一試合すべての実況の提出が求められたが、友人に依頼して複数試合の実況から上手い部分だけを編集した録音テープを提出し、入社となる。入社当時はプロ野球実況も担当した[2]

番組の企画で、富士山の八合目まで登った。

『玉川美沙 たまなび』の「クイズ5パーソンズ」コーナーで、菅野詩朗の代理として出演した。

アメリカのロックバンド「シカゴ」の30年来のファンで、2008年の文化放送アナウンサーカレンダーに「ダイジナモノ」としてシカゴの直筆サインを携えて写っている。

2001年12月に港区立赤坂区民センター区民ホールで行われた、サンスタープレゼンツ:文化放送開局50周年記念アナウンサー特別公演、芝居『忠臣ぐらっちぇ』(原作立川志の輔、演出脚本かわのをとや)で、元アナウンサーの藤木千穂とともに主役として、邦丸は赤穂浪士、深野銀衛門役、藤木千穂は大工の娘、おみつ役、をそれぞれ演じた。後にビデオとしてプロシードと文化放送開発センターが販売し、新宿区若葉の「文化放送ちけっとぽ?と」と「文化放送ラジオショッピング」のみで限定販売された。

好きなタイプの女性芸能人として、日野てる子[2]ピンキーとキラーズのボーカル今陽子の名を挙げた[4]

声優の古本新乃輔と親交が深く、古本がパーソナリティを務めた文化放送の『古本新之輔のパラシュート遊激隊』、『古本新之輔 ちゃぱらすかWOO!』に準レギュラーとして不定期出演し、後者で古本のピンチヒッターを務めた。

高校の1年後輩にTM NETWORK宇都宮隆木根尚登がいる。

二人の娘がいるが[5]、そのうち一人の娘の夫はお笑いコンビ『プラスワン』のメンバーの早戸裕である[6]

長年ボートレースの番組を務めたが、文化放送でスポーツ部に所属した時はレース実況を担当せずに他部署へ移動した[7]


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