野村 萬斎(のむら まんさい)は、狂言方和泉流野村万蔵家の名跡。元は五世野村万造の隠居名。
初世野村萬斎 - 五世野村万造(1863年-1938年)の隠居名。晩年に「萬斎」と改名し、死去まで萬斎を名乗った。
二世野村萬斎(1966年- ) - 本項にて詳述。1994年に襲名。
のむら まんさい
野村 萬斎
(二世)
本名野村 武司(のむら たけし)
生年月日 (1966-04-05) 1966年4月5日(58歳)
出身地 日本・東京都
身長174 cm
血液型B型
職業狂言師・俳優
ジャンル舞台・映画
活動期間1970年 -
活動内容1970年:狂言初舞台
1985年:『乱』
1994年:『花の乱』
1997年:『あぐり』
2000年:『蒼天の夢』
2001年:『陰陽師』
2003年:『にほんごであそぼ』
2003年:『陰陽師II』
2012年:『のぼうの城』
2016年:『シン・ゴジラ』
2019年:『七つの会議』
配偶者あり
著名な家族祖父:六世野村万蔵
父:二世野村万作
母:阪本若葉子
伯父:七世野村万蔵(隠居名:野村萬)
叔父:野村四郎
叔父:野村万之介
従兄:八世野村万蔵
従兄:九世野村万蔵
従甥:野村太一郎
従甥:六世野村万之丞
長女:野村彩也子(TBSアナウンサー)[1]
長男:野村裕基(狂言師)
事務所シス・カンパニー
(狂言・芸術監督以外の活動)
公式サイト ⇒万作の会
主な作品
狂言
『まちがいの狂言』
『髭櫓』
『敦 - 山月記・名人伝 - 』ドラマ・映画
『あぐり』
『陰陽師』
『のぼうの城』
『シン・ゴジラ』
『七つの会議』
受賞
日本アカデミー賞
優秀主演男優賞
第23回『陰陽師』
第36回『のぼうの城』
ブルーリボン賞
主演男優賞
第44回『陰陽師』
その他の賞
エランドール特別賞
橋田賞新人賞
日刊スポーツ・ドラマグランプリ助演男優賞
ベストドレッサー賞
文化庁芸術祭演劇部門新人賞
読売演劇大賞
芸術選奨文部科学大臣新人賞
紀伊國屋演劇賞
朝日舞台芸術賞
モンブラン国際文化賞
松尾芸能賞大賞
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二世野村 萬斎(のむら まんさい、本名:野村 武司(のむら たけし)、1966年〈昭和41年〉4月5日 - )は、狂言方和泉流の能楽師・俳優・演出家。能楽狂言方和泉流野村万蔵家。二世野村万作と詩人・阪本若葉子の長男。 狂言師・二世野村万作の長男として、東京都に生まれる。 1970年、3歳のときに『靱猿』の子猿役で初舞台を踏み、4歳のときに『いろは』で初シテ[2]を務めた。 父の万作は狂言師の道に進むことを強制したわけではないが、中学生になると型にはめ込まれる狂言を窮屈に感じて、自由さを求めて部活動のバスケットボールやバンド活動に勤しむ。また、他とは違うと思われたくないため、自分の家が狂言師の一族であることを周囲には明かさなかった[2]。変声期になると声が出なくなり、より一層狂言に身が入らなくなった[2]。高校に入り3年生の17歳で演じた『三番叟』で狂言の面白さに目覚め、狂言師の立場を認識して受け入れられた[3]。 1989年に東京芸術大学音楽学部邦楽科能楽専攻を卒業した。 1994年、二世「萬斎」を襲名した。 伯父・初世野村萬(本名:野村太良)と父・二世野村万作(本名:野村二朗)の兄弟は、六世万蔵の息子で、六世の没後、万蔵家の名跡を分配することになった。 しかし、耕介は襲名を半年後に控えた2004年6月に父の太良(萬)に先立ち死去した。これを受け、太良の次男・良介(萬斎の従兄)が兄に代わり九世として当主名・「万蔵」を2005年1月に襲名し、今日に至る(八世は耕介に追贈された)。また、耕介が生前に名乗った次期当主が名乗る「万之丞」の名跡は耕介の甥(良介の長男)・虎之介が六世として襲名し、今日にいたる。 そして、次男である二朗(万作)は「二世万作」の舞台名を経たのちに、五世万造(六世万蔵の父)の隠居名・萬斎を相続することになっていた。しかし、二朗は自身の父・六世万蔵の本名でもあった「万作」という舞台名に愛着を持っていた事と、六世万蔵の本名に過ぎなかった「万作」の舞台名を一代で築きあげた自負から「萬斎」を二朗自身では名乗ることはせず、息子の武司に「萬斎」の名前を相続させることとした。それにより、1994年に武司が「萬斎」を二世として襲名することとなった。 この分割相続により、長男・太良(萬)の家系が江戸時代から代々続く当主名・「万蔵」と次期当主(跡取り)が名乗る「万之丞」の名跡を相続することとなった。そして、次男・二朗(万作)の家系が六世万蔵の本名・「万作」の名前と五世万造の隠居名・「萬斎」の名前を相続していく形となった。 幼少より厳しい稽古が必要とされる伝統芸能の世界で育ちながら、狂言以外でも、俳優としてドラマ・映画・舞台などで幅広く活躍しており、端整な容姿と気品ある物腰、独特の発声などで存在感を示す。 NHKで1994年の大河ドラマ『花の乱』や、1997年の朝の連続テレビ小説『あぐり』、2000年のスペシャルドラマ『蒼天の夢 松陰と晋作・新世紀への挑戦』などに出演し、知名度を上げた。その後、2001年に映画『陰陽師』で主演し、また2008年に木曜時代劇『鞍馬天狗』で主演の鞍馬天狗(倉田典膳)を演じた。 NHK Eテレの子供向け番組『にほんごであそぼ』に、2003年の放送開始時よりレギュラー出演している。 東京2020 開会式・閉会式 4式典総合プランニングチームのチーフ・エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターを務めることになっていたが、新型コロナウイルス感染拡大を受けた演出の見直しにともない解散した[4]。 また、著作や舞台イベントなどで狂言の普及に努めるかたわら、日本伝統芸能と現代劇との融合を目指して『藪の中』や『RASHOMON』、『敦 - 山月記・名人伝 - 』などを演出し、評価を得た。 父万作が早稲田大学の卒業生であり、自身も早稲田大学推薦校友である[5]。 父の兄弟は伯父・野村萬(七世野村万蔵)。叔父(四男)・野村四郎(観世流シテ方)、叔父(五男)・野村万之介(狂言方)がいる。また、伯父・萬は2024年現在、現役最高齢の狂言師である。 従兄に八世野村万蔵(五世万之丞)と九世野村万蔵がいる。従甥(従兄の子)に野村太一郎、六世野村万之丞、野村拳之介、野村眞之介(伯父・萬の孫)。 母方の曾祖父は福井県知事・鹿児島県知事などを務めた阪本ソ之助で戦国武将・永井直勝の子孫にあたる。母方の祖父は詩人・ドイツ文学者の阪本越郎。越郎の兄に阪本瑞男、異母弟に高見順、従兄に永井荷風がいる。 長男・裕基も狂言師の道を歩みだしている。 長女・彩也子は2019年に父・萬斎、弟・裕基とともにKUMONのCMでメディアデビューを果たした。2020年4月1日付でTBSにアナウンサーとして入社した[6]。
概要
人物
「萬斎」襲名 と名跡の分割相続
長男・太良(萬)が次期当主名である「万之丞」を経て、野村万蔵家(本家)の当主名である「野村万蔵」を七世として襲名した。そして、太良が万蔵家当主を退いたのち「野村万蔵」の名跡は、既に次期当主名である「万之丞」を襲名していた太良の長男・耕介(萬斎の従兄)が八世として引き継ぐ予定であった。
狂言以外の活動
親族
略歴
1970年:『靱猿』で初舞台。
1979年:筑波大附属小を卒業。
1981年:『千歳』を披く。
1982年:筑波大附属中を卒業。
1984年:『三番叟』を披く。
1985年:黒澤明監督作品『乱』で、鶴丸役(「野村武司」として出演)。
1985年:筑波大附属高を卒業。
1986年:『奈須与市語』を披く。
1987年:『ござる乃座』主宰(以後年2回)。
1988年:『釣狐』を披く。
1989年:東京芸術大学音楽学部邦楽科能楽専攻卒業。
1990年:『ハムレット』主演。
1994年:曾祖父・五世万造の隠居名、萬斎を襲名。NHK大河ドラマ『花の乱』で、細川勝元役。文化庁芸術家在外研修制度で渡英。
1996年:『花子』を披く。
1997年:NHK朝の連続テレビ小説 『あぐり』で、望月エイスケ役(吉行エイスケがモデル)。
2000年:司馬遼太郎原作『世に棲む日日』のNHKスペシャルドラマ『蒼天の夢 松陰と晋作・新世紀への挑戦』で、高杉晋作役。
2001年:『まちがいの狂言』演出・主演(シェイクスピア『間違いの喜劇』の翻案)。滝田洋二郎監督作品『陰陽師』で、安倍晴明役(映画初主演)。
2002年:世田谷パブリックシアター芸術監督に就任。
2003年:NHK子供番組 『にほんごであそぼ』出演開始。長男・野村裕基、『靱猿』で初舞台。ジョナサン・ケント演出『Hamlet』に主演し、「男優だけのハムレット」として日本公演のほかロンドン公演を行った。
2004年:ギリシャ・アテネの古代劇場で上演された蜷川幸雄演出のギリシャ悲劇『オイディプス王』に主演。9月2日、重要無形文化財総合指定者に認定(総合認定役割:狂言方(和泉流))[7]。
2007年:世田谷パブリックシアター芸術監督(2期目)
2008年:東京大学教養学部非常勤講師。
2009年:明治大学国際日本学部非常勤講師。
2010年:『現代能楽集V?「春独丸」「俊寛さん」「愛の鼓動」』で、企画・監修。
2011年:文部科学省日本ユネスコ国内委員会委員に就任。
2016年:映画『シン・ゴジラ』にてモーションキャプチャによるゴジラ役を担当。公開当日まで出演はシークレットとなっていた。
2021年:石川県立音楽堂邦楽監督に就任[8]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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