野村安趙
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野村里之子親雲上安趙 (のむら サトゥヌシペーチン あんちょう、1805年6月28日 (嘉慶10年6月2日) - 1871年8月17日 (同治10年7月2日))は、琉球王国第二尚氏王統古典音楽演奏家。野村流の始祖。童名は真蒲戸、唐名は毛文楊。

新城親方安基の支流で、野村家10代目。知念績高に師事。尚泰王の命により、音楽譜『野村工工四』(3巻)を編纂、1869年完成。琉球古典音楽の重要な楽譜である。
系譜

:野村安美

:麻氏思戸 (1785年 - 1852年)。は寿彭)


: 易氏真加戸

長女: 思戸 (1832年に生まれる)

次女: 真鍋 (1834年に生まれる)

長男: 野村安暢

次男: 野村安貞


経歴(月日は旧暦)「琉球音楽 野村流始祖先師顕彰碑」。野村流の始祖である安趙の写真と名前が筆頭に記されている。沖縄県那覇市

1805年6月2日 父野村安美・母麻氏の長男として首里赤平に生まれる。

1820年12月8日 欹髻を結ぶ。

1829年12月朔日 若里之子に叙する。

1834年12月朔日 黄冠に叙する。

1838年12月朔日 取納座の筆者となる。

1839年12月朔日 同所の大屋子となる。

1843年3月 歌三味線の御用勤に因って褒賞を賜られる。

6月朔日 御側仕となる。


1848年6月朔日 仕上世座の大屋子となる。

1860年6月朔日 御茶屋守となる。

1864年11月朔日 来寅年(1866年)の冊封大典あるによって躍方・歌三味線の師匠となる。

1867年正月28日 冊封大典が全て竣るの大慶によって當座敷に叙する。

1869年6月朔日 御料理座の大屋子と為って座敷に叙する。

1871年7月2日 死去。齢は67、は義翁。

関連人物

幸地賢忠、新里朝住、照喜名聞覚屋嘉比朝寄、豊原朝典、安冨祖正元
参考文献
琉球]首里『毛姓家譜(支流)』。


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