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野村 収基本情報
国籍 日本
出身地神奈川県平塚市
生年月日 (1946-08-09) 1946年8月9日(77歳)
身長
体重184 cm
80 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1968年 ドラフト1位
初出場1969年10月4日
最終出場1986年10月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
神奈川県立平塚農業高等学校
駒澤大学
大洋ホエールズ (1969 - 1971)
ロッテオリオンズ (1972 - 1973)
日本ハムファイターズ (1974 - 1977)
横浜大洋ホエールズ (1978 - 1982)
阪神タイガース (1983 - 1986)
コーチ歴
阪神タイガース (1987)
横浜大洋ホエールズ (1988 - 1992)
阪神タイガース (1994 - 1995)
シドニーオリンピック日本代表
北海道日本ハムファイターズ (2007 - 2008)
東京国際大学
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野村 収(のむら おさむ、1946年8月9日 - )は、神奈川県平塚市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ、解説者。NPBで史上初めて全12球団から勝利を挙げた。 中学から本格的に野球を始めた。打撃投手を務めていた際に肘に違和感を覚えると、三塁手で出場した際に一塁手への送球で肘を故障、医師からは投手は難しいと言われたが風呂で温めてから肘を伸ばす日課を続けていると肘が伸びて投げられるようにまで回復。家庭の事情で私立の強豪校は諦め、1962年に平塚農業高校へ進学。入学当初のシートノックでは三塁手を指示されたが外野手を希望して強肩をアピールし、狙い通り投手の座を掴んだ。県大会1回戦負けの常連であったが、3年次の1964年春に強豪の鎌倉学園に2-1で勝利して評価を高めた。高校時代には、現在の平塚球場の場所にあった農林水産省試験場での研修経験があり、テレビ神奈川での平塚球場公式戦中継で解説時に思い出話として語ったことがある。 高校卒業後は1965年に駒澤大学へ進学し、2年上に伊藤久敏・土屋紘の両投手がいたため、彼等が卒業した3年次の1967年からエースとして活躍。東都大学野球リーグでは1年下の大矢明彦とバッテリーを組む。同年秋季リーグは大橋穣らを中心打者とする亜大に次ぐ2位にとどまるが、7勝3敗で最優秀投手とベストナインに選出された。4年次の1968年春季リーグは7試合登板で全試合完投勝利、リーグ1位の防御率0.95を記録し、4年ぶりの優勝に貢献。最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインに選出された。同年の全日本大学野球選手権大会は決勝に進出したが、田淵幸一、山本浩二、富田勝の「法政三羽ガラス」が中心の法大に敗退。
経歴
プロ入り前