野庭町
町丁
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度23分24秒 東経139度34分14秒 / 北緯35.390008度 東経139.570639度 / 35.390008; 139.570639
国 日本
都道府県 神奈川
市町村 横浜市
行政区港南区
人口情報(2023年(令和5年)4月30日現在[1])
人口20,323 人
世帯数10,287 世帯
面積([2])
2.097 km²
人口密度9691.46 人/km²
設置日1936年(昭和11年)10月1日
郵便番号234-0056[3]
市外局番045(横浜MA)[4]
ナンバープレート横浜
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野庭町(のばちょう)は、神奈川県横浜市港南区の町名。丁番を持たない単独町名である。住居表示未実施。 面積2,097m2[2]。面積・人口とも港南区最大である。南北に長く、北は環状2号を挟み上永谷、南は栄区小菅ケ谷・小山台、東は日野・日野南、西は丸山台・上永谷町に接する。北部は地下鉄上永谷駅に近く、地下鉄の上永谷車両基地や港南図書館などがある。横浜横須賀道路が通過するが、町内にインターチェンジは設けられていない。中部は横浜市住宅供給公社や市営の団地が立ち並び、上永谷駅・上大岡駅・港南台駅・洋光台駅などのバスの便がある。 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、野庭町字永作81番39の地点で19万1000円/m2となっている[5]。 古くは相模国鎌倉郡上野庭村および下野庭村で、鎌倉時代から戦国時代まで野庭団地一帯には鎌倉幕府初代侍所別当の和田義盛が築城した野庭関城が存在し、鎌倉や玉縄城の出城として機能していた。町内の政所と言う地名は執権北条家統治下では北条時宗室の覚山尼が開いた鎌倉東慶寺の寺領だった事に由来する。 戦国時代には安藤良整、石巻康保等の北条家重臣が野庭関城城代を務めた。 上・下野庭村は1889年(明治22年)4月1日に永谷村および平戸村飛地と合併、永野村大字上野庭・下野庭となる[6]。1936年(昭和11年)10月1日に横浜市に編入、中区の一部となり、大字上野庭・下野庭の地域を合わせて野庭町となる。1943年(昭和18年)12月1日に分区により南区に編入、1969年(昭和44年)10月1日に港南区に編入された。 2023年(令和5年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
地理
地価
歴史
沿革
世帯数と人口
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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