野川_(東京都)
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野川
東八道路富士見大橋(三鷹市)
水系一級水系 多摩川
種別一級河川
延長20.5 km
平均流量0.2 m³/s
流域面積43.9※ km²
水源日立製作所中央研究所内
(東京都国分寺市)
水源の標高-- m
河口・合流先多摩川
(東京都世田谷区)
流域東京都
※支流を含めた流域面積は67.5km2

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野川(のがわ)は、東京都を流れる多摩川水系多摩川支流の一級河川である。国分寺市東部の日立製作所中央研究所敷地内を水源とし、世田谷区南部の二子玉川多摩川と合流する。全長20.5km。
地理

国分寺市東恋ヶ窪一丁目の日立製作所中央研究所敷地内の湧水が源とされ、近接する市道の休憩所には案内板が設置されている。年2回の一般公開や地元小学校の見学などが行われている。南下して西武国分寺線JR中央本線の盛土を抜け、住宅地を抜けて東へ向きを変え、国分寺街道の不動橋で真姿の池湧水群からの湧き水を合わせる。鞍尾根橋で、東京経済大学国分寺キャンパスの新次郎池からの湧水が合流するとともに国分寺市から小金井市へ入り、河川管理境界も東京都北多摩南部建設事務所へと移る。

以降、多摩川との合流点まで河川緑道が整備され、さらに多摩地区内は河道と河川敷が親水エリアとして整備されている。小金井市に入り、武蔵野公園にさしかかるあたりから南東に流れ、西武多摩川線と交差し、野川公園に入る。小金井市と調布市の間を何度も縫ってその後三鷹市を流れ、再び調布市に入る。

京王線と交差し、調布市と狛江市の境を何度も縫い、調布市入間町付近で支流の入間川を合わせる。世田谷区に入り、神明の森みつ池からの湧水を合わせて、小田急小田原線をくぐり、東名高速道路と交差する。世田谷区鎌田で北から流れ来る仙川を合わせ、多摩川と並んで二子玉川国道246号新二子橋二子橋をくぐり、東急田園都市線東急大井町線二子玉川駅のホーム下で右岸が、世田谷区玉川一丁目付近で左岸が多摩川に合流する。

野川は、南岸が平坦、北岸が急斜面となっていて、両岸の高さが違う[1]。北の崖は、武蔵野段丘面を多摩川が削りこんで作った国分寺崖線である[2]。「ハケ」と呼ばれる崖の斜面からはかつてに比べれば大幅に減少しているものの、深大寺から成城みつ池にかけて多くの清水が湧き、都内でも珍しい自然が残っている。
歴史
先史時代

野川が流れる立川段丘面は、2万?3万年前の更新世に古多摩川が流れて作った河岸段丘である。その時代の多摩川は、立川段丘面に礫を残しながら、武蔵野段丘を横から削っていた。多摩川本流が流路を変えた後に、国分寺崖線の湧水を集め、多摩川旧河道を流れた小河川が、野川である。野川には多摩川が運んで残した礫の層(立川礫層)を削るほどの流量がなく、礫層を川底にして浅い谷を作った。野川の上流部北側には旧石器時代の遺跡がある[3]

また、野川流域には横穴墓が見つかっている[4]。川沿いには弥生時代から水田が開かれ、奈良時代には上流部に武蔵国分寺が作られた[5]
六郷用水開削による流路変更

かつての野川は、小金橋(調布市と狛江市の市境、調布市立調和小学校の南東)あたりから野川緑地公園に近い流路で現在の狛江市中心部を流れ、そのまま南流し岩戸川(現在の岩戸川緑地公園)及び町田川に接続し、宇奈根付近で多摩川に注いでいた。

1597年慶長2年)から15年かけて六郷用水(次大夫堀)が開削された。これに伴い世田谷通りの新一の橋付近で六郷領用水と合流し流れを東に変え、世田谷通りと滝下橋緑道を流れ入間川と合流するようになった。次太夫堀公園を流れた後用水から分流し現在の野川下流に近い流路を通っていた。
昭和の流路変更

1967年昭和42年)になって六郷用水も川の流路を失わない範囲で大部分が埋められ(一部が野川緑地公園と滝下橋緑道に整備)、野川の流路を東に寄らせる改修が行われた。野川は狛江市街に入らずに調布市と狛江市の市境付近に新たに開削された[6]。それより下流の野川も入間川との合流点を作り、さらに少し下流のきたみふれあい広場(小田急電鉄喜多見車両基地)付近では旧入間川より数百メートルほど東に野川が開削され(西側の従前の入間川は埋められた。狛江ハイタウン前からきたみふれあい広場までは道路及び遊歩道になっている)、さらに下流でも次大夫堀開削以前の入間川に近い流路がとられた。また、この開削した川も全区間野川と称した。

都内にしては湧水による水量豊富な河川であったが、戦後から高度経済成長期を経て1980年代前半までは、周辺地域の宅地化が進行し、下水道も未整備であったため生活雑排水が垂れ流されるようになる。流水の大半がそれらからなり、水底はヘドロで覆い尽くされ悪臭を放つドブ川となってしまうが、平成に入り周辺地域の下水道整備がようやく完了し、清流への回復が徐々に進み始めた。これにより各種類や水生昆虫、かわせみ、カメなどの生息、回帰も確認されるようになった。

しかし、皮肉なことに汚水の減少にともなって水量そのものも減少してしまい、冬季にはしばしば川の水が枯れるようになった。また、水量減少は流路に湿原的な環境を所々作り出し、アシの繁茂が新たな生物相を生じさせてもいる[7]

この流路変更前の野川は、アメリカ軍による1947年(昭和22年)3月?1948年(昭和23年)3月撮影の空中写真[8]によって確認できる。
ギャラリー

野川の源流点(日立製作所、中央研究所内)

源流点に関する解説パネル

源流点周辺に残された武蔵野の森国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

真姿の池湧水群は源流(南の支流)のひとつだった。国分寺市。

お鷹の道と野川。国分寺市。

野川公園内を流れる野川。調布市/小金井市。

野川に合流する入間川。調布市/狛江市。

次大夫堀公園の小川の水は野川から取り込んでいる(左下が取水口)。

東名高速道路付近では東名ジャンクションの工事が進む(2014年)

野川に合流する仙川。世田谷区。

多摩川に合流する右岸。世田谷区。

多摩川に合流する左岸(やや下流)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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