野島裕史
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のじま ひろふみ
野島 裕史
プロフィール
本名野島 祐史(のじま ひろふみ)
[1]
愛称ヒロ[2]、ヒロさん[3]
性別男性
出生地 日本東京都杉並区[4]
出身地 日本・東京都田無市(現:西東京市[5]
生年月日 (1973-04-16) 1973年4月16日(50歳)
血液型A型[4][6]
職業声優ナレーター[7]
事務所青二プロダクション[8]
著名な家族野島昭生(父)[2][4]
野島健児(長弟)[2][4]
野島智司(次弟/末弟)[2][9]
野島透也(甥)[10]
公式サイト野島 裕史|青二プロダクション
公称サイズ(時期不明)[11]
身長 / 体重166 cm / 51 kg
活動
活動期間2000年[4][12] -
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

野島 裕史(のじま ひろふみ、1973年4月16日[13] - )は、日本男性声優ナレーター[7]東京都杉並区田無市(現:西東京市)出身[4][5]青二プロダクション所属[8]

父の野島昭生、弟の野島健児は共に声優[2][4]。三人兄弟の末弟は作家野島智司[2][9]。甥(健児の長男)は俳優の野島透也[10]。母はナチュラリスト[14]
略歴

小学生時代は田無市(現:西東京市)に住んでいた[5]。幼い頃は、今とは逆で虚弱な体であったという[注 1][15]

自分なりに深く考えて、悩んだ挙句、学校中退を選ぶ[16]。その頃から「好奇心が異常に旺盛だった」という[17]。学校を中退する決断は色々な意味で「たいへんな道」であったといい、両親にはめちゃくちゃ怒られていた[16]。野島家は兄弟3人共に、育った環境のせいなのか、元々DNDに備わった部分なのかはわからないが、少しアグレッシブな人生を歩いてきたという[16]。母は学校に行かない裕史ら兄弟を積極的に色々な場所に連れて行ったといい、美術館にもずいぶん連れて行ってもらっていた[16]

14歳の時に家族全員で引っ越した[13]大分県竹田市荻町[18]の自然の中の生活で田植えをしたりして、体が良くなったという。『ぼいすた!』出演時には、特技に「田植え」と書いて経緯を話していた。

ピアノを5歳頃から始めており、中学生になる頃に辞めたという[19]。その後中学生時代に友人とバンドを組み、キーボードを担当して、音楽の楽しさに改めて目覚めたという[19]。農作業を終えて家に戻ってからはピアノの演奏をしていたが、根っから機械好きだったこともあり、機械を使用して音作りのほうが好きだった[13]。農作業をしながら米屋のアルバイトをして機材を集めていたという[13]。その後、19歳まで家族総出で農業をしていた[13]

父・昭生にも「声優になれ」と言われたことはなく、当初は裕史自身もそれほど声優には興味がなかったという[13]音楽が好きだが、機械で音を操ることが好きだったことから、20歳の時に大分県の放送制作会社に就職した[13][12][17]。職種はミキサー[13]CG制作もしており、一度、CMの企画書から絵コンテ、CG制作、コメント書き、ナレーション、映像編集まで納品したこともあった[20]。その制作会社は人手不足で、ナレーターなどの声の仕事をする人が少なくCM制作をする時に若い人の声が必要となり、上司から「お前は親が声優だし、東京出身だからやってみろ」と言われた[13]

そうして行ったナレーターの仕事が上手くできたことから、自社制作では声を担当する機会が増え、オンエアを聴いていた他の制作会社から「あのナレーターを使いたい」とオファーが来るようになった[13]。その頃既に弟の健児が声優としてデビューしていたことから、「今の仕事は楽しいけど、弟ができて僕ができるわけがない」と声優を目指して上京[12][13]。理解ある会社で「東京で声優をしたい」と告げると「東京に行ってうまくいかなかったら、戻って来いよ」と温かく送り出してくれたといい、2016年時点は感謝しているという[13]。当時は役者、音楽といった世界で2世が活躍することは珍しくなかったが、声優はあまり聞いたことがなく、父・昭生のコネクションはあるが、コネで生きる世界ではなかったという[13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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