野島昭生
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のじま あきお
野島 昭生
プロフィール
本名同じ
[1][2]
性別男性
出生地 満洲国[3]撫順市[4]
出身地 日本東京都杉並区[4]西東京市[5][注 1]
生年月日 (1945-04-06) 1945年4月6日(79歳)
血液型A型[3][5]
職業声優俳優ナレーター[6]
事務所シグマ・セブン[7]
配偶者あり[2][3]
著名な家族長男:野島裕史[5][8]
次男:野島健児[5][8]
三男:野島智司[8][9]
孫:野島透也[10]
公式サイト野島 昭生|株式会社シグマ・セブン
公称サイズ(時期不明)[11]
身長 / 体重168 cm / 56 kg

声優活動
活動期間1960年代 -
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
デビュー作『地方検事』[3]
俳優活動
活動期間1960年代 -
ジャンルテレビドラマ映画
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

野島 昭生(のじま あきお、1945年4月6日[2][3][4][12] - )は、日本声優俳優ナレーター[6]東京都杉並区[4]西東京市出身[5]シグマ・セブン所属[7]

3人の息子がおり、長男の野島裕史と次男の野島健児は共に声優[5][8]、三男は作家野島智司[8][9]。孫(健児の長男)は俳優の野島透也[10]

代表作に『ナイトライダー』(K.I.T.T.〈ナイト2000〉)や『ナイトライダーNEXT』(K.I.T.T.〈ナイト3000〉)、『CSI:科学捜査班』(ギル・グリッソム)などがある[11][13]
経歴

満洲国(現:中華人民共和国撫順市で誕生したが、父は生後40日目に終戦のわずか一か月前に召集されて戦死[3][4]。終戦後、母と姉ともにソ連軍に追われながら、日本に引き揚げた[3][4]東京都杉並区の四畳半のアパートに住み、母が外で働き詰めに働き、姉と共に育つ[3][4]。そのような環境で子役として芸能界に入ったと語っている[3]

子供ながらに変なプライドがあり、テレビ局からは車で送り迎えをしてもらっていたが、家を見られるのが嫌だったため、家まで送ってもらったことは無かった[3]。そのため、家近くのカドまでくると、「ボク、ここでいいです」と降りてしまったという[3]。子供の頃から明るく活発な性格で、その性格に芸がカバーされているという[3]。1981年時点でも「幼年期のコンプレックスの裏返しかナァ」と思うようなところもいっぱいあり、「妻はわかってるようだが……」という[3]。また小さい頃からサービス精神旺盛であり、義理のオジが「俳協で彼の紹介で子供の芝居があるから」と言い、偶々観に来ていたプロデューサーが「テレビに出ないか」と誘ったという。1954年頃からテレビとラジオの両方の仕事をしていたという[2]。当時はラジオ東京(のちのTBSラジオ)のラジオ、のちにテレビで同時生放送されていた教養番組『ぴよぴよ大学』の5代目矮鶏(ちゃぼ)博士として約2年半出演していた[2][4][3][14]

小学5年生の時に劇団東芸[15]の青年部のようなところに入団し、高校2年生までテレビドラマの子役として活躍していた[2][4][14]。当時は森山周一郎大塚周夫富田耕生らが20歳そこそこの若手俳優としてその劇団に所属していた頃だった[4][14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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