野呂山
標高839 m
所在地広島県呉市
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度16分0秒 東経132度41分0秒 / 北緯34.26667度 東経132.68333度 / 34.26667; 132.68333
野呂山(のろさん)は、広島県呉市に位置する標高839mの山で、膳棚山と弘法寺山を結ぶ東西2kmの高原の総称である。瀬戸内海国立公園の区域に指定されている。 瀬戸内海国立公園では神戸の六甲山に次ぐ高さであり、広島県南部に位置するため、県北部の山と比べ近隣の都市部から気軽に訪れることができる。 野呂山は、約8000万年前にマグマが地表に噴出してできた流紋岩が約300万年前の激しい地殻変動によって隆起したものである。その後、氷河時代に入り、急に冷やされたため、岩にいろいろな方向の割れ目がはいり、大重岩・小重岩などの珍岩、奇岩ができた。また、割れ目に沿って崩れた大きな岩石が谷から落ちたり、流されて一か所に集まって岩海ができた。 国道185号で川尻町へ向かい、「野呂山公園入り口」から始まるさざなみスカイライン(野呂山スカイライン)により頂上付近の十文字ロータリーに到着できる。さざなみスカイラインは元有料道路であるが、現在は広島県道248号野呂山公園線という一般道である。JRでは呉線安芸川尻駅が最寄り駅となる。野呂山はひろしま百山に登録されており、どんどん登山コース、かぶと岩コースといった登山道がある。 中腹には鉢巻展望台や奇岩、珍岩を見ることのできる岩海遊歩道があり、頂上付近にはそれぞれ昭和池、野呂神社、呉、安浦など街に向かう道やロッジ方向に向かう道が十文字ロータリー交差点で分岐している。 ロッジ方向に向かうと、駐車場と野呂高原ロッジ、野呂山ビジターセンター、筆作り資料館、オートキャンプ場、2ヶ所の展望台などの施設と弘法寺がある。 広島県の夜景は呉市の灰ヶ峰が一番有名であるが、野呂山は眼下の川尻の街が小さいので夜景はそれほどではない。しかし、海沿いから裾野が広がり、一気に839mを上ったところにある野呂山の展望台は瀬戸内海の多島美と沈む夕日を眺望するのに絶好の場所である。空の澄みわたったに日には、四国の新居浜市のコンビナート群や石鎚山までも眺望できる。 平家の落人が住んでいたと伝えられ、石垣もある「侍屋敷」の跡は写真にも撮られているが、その所在地は周辺の植生が変わったこと、所在地を知っていた年配の人の多くが亡くなっていることなどから、現在では所在地が不明確になっている。
概要
地質
レクリエーション利用や弘法寺
歴史
730年(天平2年) - 山麓に御堂を建てて修行する僧が現れる(弘法寺の起源)[1]。
812年(弘仁3年) - 空海が参籠する。
1828年(文政2年) - 広島藩が困窮する藩士を救済するために野呂山の開拓を始める。
明治時代 - 明治初頭に旧藩士を救済のために勧農坂一帯で入植が試みられるも大半が離農。跡地は国有林となり植林が行われた。
1892年(明治25年) - 氷池が作られ、天然氷の製造が始まる[2]。
1930年(昭和5年) - 昭和池の建設が始まる。農業用水の確保が目的。
1946年(昭和21年) - 外地からの引揚者らによる県営開拓事業が始まる(国立公園指定のため1949年に中止)[3]。
1953年(昭和28年)6月 - 山頂付近に無電局設置工事が行われる[4]。
1954年(昭和29年)5月26日 - 第1回中国観光コンクールで野呂山が2位となり、祝賀登山が行われる[5]。
1949年(昭和24年) - 川尻小学校野呂分校が開校(現在のロータリー周辺に建てられた。1970年閉校)[6]。
1953年(昭和37年)8月20日 - 野呂山開拓地に電気が通じる[7]。