野反ダム
所在地群馬県吾妻郡中之条町大字入山字沼山
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度43分07秒 東経138度38分29秒 / 北緯36.71861度 東経138.64139度 / 36.71861; 138.64139
野反ダム(のぞりダム)は、群馬県吾妻郡中之条町を流れる信濃川水系中津川に建設されたダム。高さ44メートルのロックフィルダムで、東京電力リニューアブルパワーの発電用ダムである。ダム湖(人造湖)の名は野反湖(のぞりこ)という(ダム湖百選)。上信越高原国立公園に属する。湖を一周する遊歩道は遊歩百選。 群馬・長野・新潟の3県を流れる中津川は、まず群馬県中之条町六合(くに)地区北端で源を発し、秘境・秋山郷を流れ、新潟県中魚沼郡津南町で信濃川へ合流する。その水源に野反湖があり、その北端で水をせき止めているのが野反ダムである。ダムが完成する以前は湿原であって、その中に池が点在し野反池(のぞりいけ)と呼ばれていた。大正時代の電力会社・信越電気は野反池を含め中津川の水資源を水力発電に利用することを計画し、水利権を取得。中流部において中津川第一・第二・第三発電所を完成させた。その後、相次ぐ合併のたびに各社を渡り歩いてきた水利権は、最終的に戦後発足した東京電力が継承した。 東京電力は中津川の既存水力発電所の再開発を計画し(高野山ダム#昭和の再開発も参照)、これまで手つかずだった野反池にも開発の手が伸ばされた。水源である野反池にダムを建設して大量の水を貯えておき、水不足の際に放流して下流の水力発電所の補給とすることで年間発生電力量の増大を見込んだのである。建設工事は1953年(昭和28年)に着手され、1956年(昭和31年)に完成した。日本の発電用ダムとしては初めてのロックフィルダムで、材料となる岩石を高所から落下させ、その衝撃で締め固めつつ高く築き上げるという投石工法で建設された。この工法は沈下量が大きい(完成後にダムの高さが沈みやすい)ことから、現在ではロードローラーで締め固めるといったことが行われている。また、ダム本体の上流側は水の流出を防止するため、一面にわたって鉄筋コンクリートで舗装されている。日本のダムとしては珍しく、こうした型式のものは小渕ダム・石淵ダム・皆瀬ダム・そして野反ダムの4基しか存在しない。野反ダム上流側
歴史
一面がコンクリートで舗装されている。
周辺野反湖(野反ダムからの眺め)群馬県より日本海側へ流れ出る中津川支流の野反湖空撮野反湖の空中写真。1977年8月7日撮影の4枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
草津温泉方面から国道405号を北上し野反峠を越えると、周囲を原生林で囲まれた野反湖の青い水が視界に現れる。その眺めは通常のダム湖とは違い、一見すると天然湖に見える。
野反湖とその周辺は上信越高原国立公園内に存在し、国有林の野反自然休養林がある[1]。2005年(平成17年)には六合村の推薦により財団法人ダム水源地環境整備センターは野反湖をダム湖百選に選定。また、周囲の遊歩道は遊歩百選に選ばれており、白砂山ほか上信越国境の山々への登山口でもある。
夏は高原の冷涼な空気に包まれ、湖周にはノゾリキスゲ(ニッコウキスゲの当地名)やレンゲツツジなど高山植物が咲く。