野依 良治
日本学士院より公表された肖像写真
生誕 (1938-09-03) 1938年9月3日(85歳)
日本・兵庫県武庫郡精道村(当時)
居住 日本
アメリカ合衆国
国籍 日本
研究分野化学
研究機関京都大学
名古屋大学
ハーバード大学
理化学研究所
出身校京都大学
主な業績触媒的不斉水素化反応の開発
BINAP の開発
メントールの量産化の実現
主な受賞歴中日文化賞(1982年)
朝日賞(1993年)
日本学士院賞(1995年)
アーサー・C・コープ賞(1997年)
キング・ファイサル国際賞(1999年)
ウルフ賞化学部門(2001年)
ノーベル化学賞(2001年)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者
受賞年:2001年
受賞部門:ノーベル化学賞
受賞理由:キラル触媒による不斉反応の研究
野依 良治(のより りょうじ、(1938年9月3日[1] - )は、日本の化学者(有機化学)。学位は工学博士(京都大学・1967年)。国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター長[2]、名古屋大学特別教授、名城大学客員教授、高砂香料工業株式会社取締役。日本学士院会員。2001年に「キラル触媒による不斉反応の研究」[3]が評価されノーベル化学賞を受賞した。
名古屋大学大学院理学研究科研究科長、理学部長、物質科学国際研究センター長、独立行政法人理化学研究所理事長などを歴任した。 1938年9月、兵庫県武庫郡精道村(当時)に野依金城・鈴子の長男として生まれた[1]。1945年に終戦を迎え、疎開先から神戸市に戻り、兵庫師範学校男子部附属小学校(神戸大学附属住吉小学校の前身)に学んだ[1]。 1951年4月、私立灘中学校に入学した[1]。ナイロンは石炭と水と空気から出来ているという話を聞き、化学への志を抱いた。その後、灘高等学校を経て1957年4月に京都大学工学部に進んだ[1]。 1961年3月に京都大学工学部工業化学科を卒業し、1963年3月、京都大学大学院工学研究科工業化学専攻にて修士課程を修了した[1]、工学修士(京都大学)[4]。 1963年4月、京都大学工学部にて野崎一の研究室の助手となった。1967年9月には工学博士の博士号を取得した。論文の題は「The chemistry of metastable species leading to strained homocyclic molecules(歪をもつ炭素環の合成における不安定体の化学)」。 1968年2月、名古屋大学大学院理学研究科・理学部|名古屋大学理学部にて助教授に就任した[1]。1969年1月、アメリカ合衆国にわたり、ハーバード大学博士研究員としてイライアス・コーリー(1990年ノーベル化学賞受賞)の下、1970年3月まで研究を行った[1]。この時期、後のノーベル化学賞共同受賞者となるバリー・シャープレスとの交流が始まる。 帰国後の1972年8月、名古屋大学の理学部教授に昇任した[1]。同年、紘子夫人と結婚する。
来歴
生い立ち
学術活動野依記念物質科学研究館
(名古屋大学)野依記念学術交流館
(名古屋大学)