野上電気鉄道
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野上線
日方駅から連絡口駅方面を望む
概要
現況廃止
起終点起点:日方駅
終点:登山口駅
駅数14駅(連絡口駅は計上せず)
運営
開業1916年2月4日 (1916-02-04)
廃止1994年4月1日 (1994-4-1)
所有者野上電気鉄道
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長11.4 km (7.1 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化直流600 V 架空電車線方式
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停車場・施設・接続路線
凡例


JR西紀勢本線


南海和歌山軌道線


0.0日方駅 /(左)野上電車前駅


0.2連絡口駅 (日方駅構内扱い)


海南駅前駅/海南駅




1.2春日前駅


阪和自動車道


2.0幡川駅


日方川


3.8重根駅


5.0紀伊阪井駅


亀の川


6.5沖野々駅


貴志川


7.3野上中駅


8.0北山駅


8.5八幡馬場駅


8.8紀伊野上駅


柴目川


9.5動木駅


跨線道路橋


(一見トンネル状の特異な構造)


9.9龍光寺前駅


10.5下佐々駅


11.4登山口駅

野上電気鉄道株式会社(のがみでんきてつどう、のかみでんきてつどう)は、和歌山県にかつて存在した鉄道会社である。

和歌山県海南市の日方駅から同県海草郡野上町(現在の紀美野町)の登山口駅までを結ぶ鉄道路線である野上線の運営および、その沿線地域を中心にバス事業を行っていた。野上電鉄、野鉄と呼ばれ、現在はその名をかつての関連会社であった野鉄観光に残す。監督官庁認可の正式名称では「野上」の読みは「のがみ」だが、沿線においては地名と同じく「のかみ」と発音する。
歴史

野上電気鉄道は、たわしロープなどの特産品を、港のある日方町(現在の海南市)へ運搬することを目的に、1913年8月に設立された。1916年2月4日に日方 - 野上(後に紀伊野上に改称。なお、同時に阪井も紀伊阪井に改称)間が開業。紀勢本線箕島 - 和歌山(現、紀和)間の開業よりも8年前のことであった。1928年3月29日には野上(後に紀伊野上に改称) - 生石口(後に登山口に改称)間が開業した。

地場資本による経営で大手私鉄の傘下に入らず独立した経営を行っていたが、モータリゼーションの進展による乗客の減少から経営難に陥った。それと同時に特産品の輸送は次第にトラック輸送に置き替えられるようになり、1966年10月1日小口扱い貨物を、1971年6月1日車扱い貨物をそれぞれ廃止した。そのため1971年に全線廃止の方針を打ち出し、第一段階として1973年に沖野々 - 登山口間の廃止を国に申請している。ところが直後に起こった第一次オイルショックにより鉄道見直しの気運が高まったことを受け、1975年に廃止申請を撤回し、国や海南市など沿線自治体の補助金を受けることで延命した。

その後もモータリゼーションの進展は止まることなく、利用客も沿線の高校への通学生と工場の従業員が中心となったため、1983年交換駅である紀伊野上駅の日中時間帯無人化による運行本数の削減(1時間あたり2本を1本程度に)を実施した。鉄道施設は局部的には近代化整備を実施したものの、全体として老朽化が激しい状態であったが、幸いにも列車運転に支障をきたす重大な故障は廃線まで発生しなかった。

1992年に国の地方鉄道への欠損補助金見直しにより栗原電鉄とともに支援打ち切り対象に指定され[1]、この時改めて全線廃止、会社解散の方針を打ち出した。沿線の住民からは廃止反対運動やさまざまな改善案がだされたものの、単年度で2億4千万円もの赤字を出し、1992年当時の借入金は11億円[2]、1992年度決算での累積赤字は7億円にも上り[2]、退職金の資金源もなく[2]人員削減などの合理化もできない状態であった[2]野鉄にとって、自力再建は到底無理な話であった。方針通り1994年に野上線を廃止し、バス事業も海南市の運送会社大十株式会社に譲渡して会社は解散した。引き継いだバスは大十(2004年から子会社の大十バス)が大十オレンジバスとして運行している。

末期の野上電鉄は補助金に頼り切り、ワンマン化や大手私鉄の経営指導を受け入れるなどの自助努力を怠っていたとの指摘もある[3] 最終運転日(1994年3月31日)の日方駅 最終運転日の紀伊野上駅 最終運転日の登山口駅
年表

1911年(明治44年)11月10日 - 軽便鉄道免許状下付(日方 - 東野上間 動力蒸気)
[4]

1913年(大正2年)8月3日 - 野上軽便鉄道設立[5]

1916年(大正5年)2月4日 - 日方 - 野上(後に紀伊野上に改称)間が開業[6]

1922年(大正11年)10月16日 - 鉄道免許状下付(那賀郡東野上村-同郡下神野村間)[7]

1925年(大正14年)6月24日 - 鉄道免許失効(那賀郡小川村-同郡下神野村間 工事施行認可申請期限切れ)[8]


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