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北山本門寺(きたやまほんもんじ)は、静岡県富士宮市北山にある日蓮宗の寺院で、同宗の七大本山の1つ。日興の法脈を継承した富士門流に属し、静岡県の駿東地方に分布する 西山本門寺、 大石寺、 下条妙蓮寺、 小泉久遠寺とともに同門流の「富士五山」を構成する。また、さらに 京都要法寺、伊豆実成寺、保田妙本寺とあわせて「興門八本山」のひとつにも数えられる。正式呼称は法華本門寺根源。山号は富士山。他の通称に重須本門寺がある。
目次
1 歴史
2 本門寺という呼称
3 歴代住職
4 境内
5 年間行事
6 直末寺院
7 文化財
7.1 重要文化財
7.2 その他
8 交通アクセス
9 脚注
10 関連項目
11 外部リンク
歴史の寄進をうけて北山に重須談所を設けると、同時に、本堂・御影堂・垂迹堂の建設にとりかかり、5年後の1298年(永仁6年)に落成した。大石寺は弟子の日目に譲ったが、日目が南条時光の血縁関係であったことも理由のひとつとされている。同様に石川一族は、日興の血縁関係者であった。日興は晩年の36年間を重須談所で過ごした。
日興の後は第2代として日代が継いだが、日代は教義上の対立から地元大衆に寺を追い出され、西山本門寺を建立して初代住職となった。
1298年(永仁6年)2月15日、日興、重須に御影堂を建立して移る。日興本弟子6人を定む。
1302年(乾元1年)3月8日、日頂、下総真間弘法寺を日揚に付し、重須に来たり日興に帰依す。12月28日、日興、寂仙房日澄を重須談所の学頭に補す。
1317年(文保元年)3月8日、日頂、重須に寂(66歳)。三位日順重須談所2代学頭に補せらる。
1318年(文保2年)1月8日、三位日順、重須談所に法華本門見聞の講を開く。11月24日、日興、重須談所に問答講〔論義〕を始め三位日順表白文を書す。
1325年(正中2年)11月13日、石川妙源、重須御影堂寄進の置状を日興に奉る。
1328年(嘉暦3年)9月15日、重須開基檀那石川孫三郎源能忠〔法号妙玄日真〕卒。
1333年(元弘3年)2月7日、二祖日興重須に入滅〔88歳〕。伊予公日代、重須に石経を埋む。
1334年(建武1年)1月7日、上蓮房日仙、伊予公日代、上蓮〔百貫〕坊において問答す〔仙代問答〕。伊予公日代重須を出で大石寺藤木坊に仮寓す。
1339年(延元4年)10月25日、重須日妙、天奏す。12月4日、重須日妙、書を京の太夫阿日尊に報ず。
1344年(興国5年)、石川実忠、再び重須の坊地寄進を証す。
1347年(正平2年)10月13日、式部日妙等、重須の寺を修理す。
1355年(正平10年)1月3日、三位日順、重須談所に開目抄の講義を始む。
1356年(正平11年)3月5日、三位日順、重須談所にて観心本尊抄の講義を始む。
1417年(応永24年)10月13日、今川範政、重須寺に判物を下す。
1482年(文明14年)9月7日、大石寺と重須・保田・小泉衆徒諍論。
1494年(明応3年)9月13日、重須日浄、本尊聖教等を日国に譲る。