経済体制
経済思想重商主義 - 新重商主義
資本主義 - レッセフェール
社会主義 - 市場社会主義
共産主義 - アナキズム
サンディカリスム
ファシズム - コーポラティズム
保護貿易 - 参与型経済
重農主義
重農主義(じゅうのうしゅぎ、physiocratie、英: physiocracy)とは、18世紀後半、フランスのフランソワ・ケネーなどによって主張された経済思想およびそれに基づく政策である。「physiocratie、physiocracy」は、「physeos kratesis(自然(の秩序)による統治/支配)」という言葉に由来している。1767年に、デュ・ポン・ド・ヌムールが編纂した『フィジオクラシー、または人類にとってもっとも有益な統治の自然な構成( Physiocratie, ou constitution naturelle du gouvernement le plus avantageux au genre humain)』が出版され、それ以降、この言葉がケネーらの思想を指す呼称として定着していった[1]。それ以前には、この学派は、単に「エコノミスト」と呼ばれていた。日本では、明治時代に「フィジオクラシー」が紹介された当初は「天理学派」「理物学派」などという訳語をあてられていたが[2]、アダム・スミスがこの派の学説を「農業のシステム」と呼んだことが知られるようになって、「重農学派」「重農主義」という訳語が定着するようになった。この学派の関心領域が農業理論に限定されていないことから、木崎喜代治ら現代の研究者は、原語のまま「フィジオクラシー」と呼ぶことが多い。 重農主義は、18世紀後半のフランスで、ルイ15世の治世の下での戦争と王権による贅沢によって、経済・社会が疲弊した頃に発生した[3]。富の唯一の源泉は農業であるとの立場から、農業生産を重視する理論であり、重商主義を批判し、レッセフェール(自由放任)を主張した。この考え方はアダム・スミスの思想に大きな影響を与えた。 ケネーは『経済表』を作成してその自然が形成する秩序の姿を明らかにしようとした。彼は社会は神によって創造された自然秩序に基づいて形成されるものとして人為的な社会契約説には批判的であった。自然秩序は物理・道徳の両法則によって形成され、自然法と実定法はこれを制御するために生み出されたものである。人間は自然法則によって自己の欲望を満たしたいとする欲求を実現する権利を持っており、その実現を保障するのが自由権と財産権であり、国家は実定法を用いてこれを保障する義務を持つと唱えた。また、同時に彼は農業によって生み出された剰余価値(純生産物)が農業資本の拡大再生産をもたらすとした。一方、商工業は農業がもたらす原材料がなければ何も生産出来ず、生産者としての価値は存在しない。
概要
理論