重複立候補
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重複立候補制度(ちょうふくりっこうほせいど)とは、衆議院議員総選挙で採用されている、複数の選挙に同時に立候補することを認める選挙制度。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
概説

公職選挙法第87条では2つの異なる公職選挙で同時に重複立候補することについて禁止している(この規定は1957年の法改正により同年5月10日から施行された。それ以前は参議院議員通常選挙における地方区と全国区での重複立候補が禁止される等の一部を除いて重複立候補が禁止されていなかった)。

ただし、1994年の法改正により、衆議院議員選挙の比例代表の場合、小選挙区と重複して立候補できると規定されており(公職選挙法第86条の2第4項)、立候補する際に所属政党の許可が得られれば、立候補者が「小選挙区選挙」と「比例代表選挙」に重複して立候補できる。ただし、公職選挙法上の政党要件を満たしていない「その他の政治団体」から立候補した場合、重複はできない。

比例代表の名簿では、政党が複数の重複候補者を同一順位にできる。この場合、小選挙区における当選者の得票数に対する落選候補者の得票数の割合(惜敗率)を求め、惜敗率の高い候補者から比例名簿の順位が決められる。

重複候補は、小選挙区で落選しても比例区で復活当選できるため、1議席が割り当てられている単一の小選挙区を基盤とする議員が、区によっては複数いる現象が発生している。なお、選挙制度上は投票が同時に行われる小選挙区制と比例代表制は並立する対等の制度であり、相互補完の関係にある。よって本来小選挙区制の結果ありきの「比例復活」という表現は不適切であるが、上記のように小選挙区の結果が影響することもあり、事実上比例代表制が従属する形になっている。また、マスメディアが盛んに用いる「比例復活」やSNSを中心としたインターネット上で盛んに用いられている「ゾンビ」などという言葉がこういった印象を強めてしまっている側面もある[1][2]。したがって「復活当選」した候補者は当選後も「小選挙区で負けたのに当選した」というレッテルがついて回ることになる。

1996年衆院選では、小選挙区の10人[注 1]の候補者が、法定得票数(有効投票総数の6分の1)未満でも復活当選をしており、そのうち2人[注 2]供託金没収点(有効投票総数の10分の1)未満でも復活当選していたことが制度上の問題点として注目された。さらに2000年2月には、供託金没収点未満の得票であった落選者1名[注 3]が比例代表繰り上げ当選してしまった。この反省から、2000年衆院選からは、小選挙区での得票が供託金没収点未満だった候補者の復活当選は認められなくなった。小選挙区での得票が法定得票数未満での復活当選については2000年衆院選以降も[注 4]認められている。小選挙区で当選した比例の候補者、および、小選挙区で供託金没収点未満の得票だった比例の候補者は、その選挙の比例名簿から除外され、下位の順位の候補者が繰り上がる。
復活当選
各政党の動き

この衆議院小選挙区比例代表並立制のもとでの重複立候補(参院選その他、公職者の選挙では禁止されている重複立候補)に対して、各政党それぞれ微妙に方針が異なる。
自由民主党

自民党では重複立候補が基本だが、比例区では73歳以上の候補者を原則公認しない定年制が内規としてあることにより、小選挙区のみの立候補を余儀なくされる対象年齢の候補者や、現職の総裁(後述)、復活当選の退路を断つことをアピールするごく一部の小選挙区の候補など毎回数人が小選挙区のみで立候補している[注 5](但し比例単独立候補なら73歳以上でも公認されることも多い)。小選挙区比例代表並立制が導入された最初の1996年の選挙では亀井静香をはじめ重複立候補を辞退し小選挙区のみ立候補した者も一定数存在したが、次第にそのような者は減少しており、2021年では安倍晋三菅義偉など総理経験者も重複立候補を行っている。他の重複立候補者よりも名簿順位が上の重複立候補者を登載することを、支持票拡大のため当然のこととして認めており、選挙区を本来の地盤から移動した候補や党が重点選挙区と位置づけた選挙区に立候補した候補(1996年鈴木宗男深谷隆司衛藤晟一2000年岩崎忠夫馳浩2003年鳩山邦夫玉澤徳一郎平田耕一伊藤達也・岩崎、2005年土屋正忠片山さつき佐藤ゆかり阿部俊子藤野真紀子稲田朋美西川京子高市早苗・玉澤等)などが名簿上位におかれている。1996年は一部ブロックで重複立候補者のうち前職候補を上位の同一順位に置き、その下に比例単独候補数名を挟んで元職・新人候補を同一順位で置いていた。

2009年衆院選を前に、古賀誠選対委員長は「相手が強いから当選圏内を与えて候補者を公認するという手法が1つの知恵で行われてきたが、党勢を拡大するうえでプラスになるのか。戦わずして一歩引いている側面もあり、よく考える必要がある」と述べ、名簿順位上位の重複候補をできるだけ少なくする方針を示した(2009年衆院選では阿部・吉野正芳の2人となった)。この後、2012年衆院選から2017年衆院選まで重複立候補は全員同一順位となった。2021年衆院選は、埼玉7区で立候補した中野英幸比例北関東ブロックで重複立候補し36位で名簿登載されたが、小選挙区で当選している[注 6]。その他の重複立候補は同一順位で名簿登載がされた。

党では2回以上連続して選挙区で落選し比例復活した議員は「暫定支部長」という立場に置き、毎年春に党員獲得状況などを審査して正式な支部長にさせるかどうかを判断している。該当の候補については、次の衆院選で比例代表との重複立候補を原則として認めない方針で検討していた[3]が、これを理由に重複立候補が認められなかった事例は2021年時点ではない。

現職の自民党総裁のうち重複立候補した者は、2000年衆院選石川2区で圧勝した森喜朗だけである(森は小選挙区比例代表並立制導入以降、自身が73歳未満だった1996年・2000年・2003年・2005年・2009年と5回連続で重複立候補し全て小選挙区勝利している)。それ以外の現職の総裁は重複立候補していない(2009年や2021年の安倍晋三菅義偉など、現職の総裁でない場合は重複立候補を行っている)。これは総裁が写った掲示済みの党のポスターの掲示が公選法が禁じる事前運動に当たり、自身の小選挙区のある都道府県以外の同一比例ブロックにある他の都道府県において、当該ポスターを撤去する必要があることが挙げられる(2005年の選挙小泉純一郎が重複立候補する動きがあったが、神奈川県以外の比例南関東ブロックの県(千葉県山梨県)でポスターを撤去する必要があるため、結局重複立候補はしなかった[4])。
創価学会を支持母体とする政党
新進党

新進党は1996年衆院選を迎えるにあたり、党首であった小沢一郎の方針により、比例区では1つの比例ブロックにつき1人しか重複立候補を認めない方針を取っていた。これにより東京5区野村沙知代(東京ブロック6位)、千葉10区須藤浩(南関東ブロック8位)、兵庫9区宮本一三(近畿ブロック11位)、岡山4区加藤六月(中国ブロック3位)、福岡4区東順治(九州ブロック8位)が数少ない重複立候補の対象者となった。例外は比例北陸信越ブロックで、石川2区の一川保夫福井3区の松田篤之の2名が重複立候補(ともに同一順位の4位)している。これ以外の北海道、東北、北関東、四国、東海の各ブロックでは重複立候補者がいなかった。この結果、小選挙区で競り負けた候補者のうち、惜敗率90%を超えていたにもかかわらず比例重複しなかったことで落選するケースが多発(代表的な例として千葉4区野田佳彦が105票差、惜敗率99.86%で落選など)し、比例重複者も一川保夫と加藤六月の2名が復活当選(宮本一三は小選挙区で当選、新進党解党後に東順治が愛野興一郎の死去により繰上当選)したことに留まり、現有議席を下回ったことで党勢が伸び悩む一因となった。


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