重北軽南
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この項目では、現在の台湾における事象について説明しています。中国宋朝時代の事象については「重北人軽南人(中国語版)」をご覧ください。
中華民国の2014年以後の行政区分図。ピンク色は直轄市、薄緑色は、紫色は台北市新北市基隆市桃園市新竹県新竹市苗栗県台中市彰化県澎湖県南投県雲林県嘉義県嘉義市台南市高雄市屏東県宜蘭県花蓮県台東県台湾省金門県連江県福建省

重北軽南
各種表記
繁体字:重北輕南
簡体字:重北?南
?音:Zhong b?i q?ng nan
通用?音:Jhong b?i c?ng nan
注音符号:???? ??? ??? ???
ラテン字:Chung pei ching nan
発音:チョンベイ チンナン
日本語漢音読み:じゅうほくけいなん
英文:North?South divide in Taiwan
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重北軽南(じゅうほくけいなん、繁体字中国語: 重北輕南)は主に台湾南部をはじめとし、中南部や東部、離島部の市民が(中華民国の)中央政府に対し富の再分配や公共事業政策が長年不均衡、不公平で少数派への配慮を欠いてきたことで生じた国内の南北格差(北高南低)を訴えるために使われる用語[1][2][3][4][5][6]。南北失衡(南北不均衡)、あるいは南北經濟差距(南北経済格差)とも称される[5][7]

台湾では1980年代から現在に至る政治改革に伴って著しい重北軽南現象の存在が指摘され、国内の政治、経済、文化、教育、医療[8]の発展の成果は概ね台北市や北部が享受していて、その他の地方ではそれらに比して少ないものとなっている。そして地方政府の財源が中央政府の補助金債務に依存する割合が高まり[9]、地方の自主財源不足を招いていることが様々な統計研究で明らかになっている[10]:185。中華人民共和国でも、比較的発展している沿岸部内で北京の中央政府との関係で類似性がみられる[10]:185。

1980年から2012年における台湾北部県市の総人口増加数が368万人なのに対し、中部県市では114万人、南部県市では86万人にとどまり、長期的な趨勢は南部の人口増加は中部より低く、中部は北部よりも低いことを示し、首都である台北市との距離によって相関関係が認められる。この現象は、中央政府の整備する国土開発計画や産業分布の結果とも無関係ではない[11]

台湾での南北経済格差の背景には中国国民党による長きに渡る重北軽南政策の影響がある[6][3]中国大陸での学術研究では馬英九政権がかつて重北軽南を転換すべく推進した政策、公共事業は南部の経済発展にある程度寄与したものの多くの事業が頓挫、先送りされたことで、「重北軽南」は引き続き反対派と産業界の非難を招く結果となっている[3]:85-86[4][5]
歴史

「重北軽南」という語句は2つの意味合いを軸に展開されている。一方は民間由来での「重北軽南論」。他方は政治家由来の「南北差異論」である。前者は台湾南部の市民が中央政府による富の再分配が長きに渡り北部偏重で不公平感が放置されてきたこと、後者は初期の政治家が市民を出身ごとに選別するために創造したもの[6]
経済

民間において「重北軽南」なる用語が使われてきたのは清代末から日本統治時代にかけて台北が政治経済の中心地となったことが遠因であり[6]、さらに決定的な要因としては1957年台北市直轄市に昇格以降、市の財政が他市に比して優勢となったことである。この趨勢は他県市と台北市の財源格差をもたらした[6]

1980年代の台湾の産業構造の変化とともに、従来は南北分散に近かった労働力の流動が北部への片方向の集中と変遷したこと、それによる様々な因果関係を巡って市民の論議は継続している[6]高雄市の人口が2017年夏に台中市に抜かれ国内3位となったことについて高雄市長陳菊は「半世紀にわたる『北重軽南』政策がもたらした不均衡な国土発展によるもの」としている[12]
政治

「南北差異論」は中国国民党(国民党)の党内において省籍における闘争があったことに起因する[6]。国民党内には「非台湾省人」を主流派として構成されたグループの「新国民党連線(中国語版)」(現新党の前身)があり、自身や支持者の外省人としての特徴を希薄化させたり自集団と党主流派の「省籍差異」を「(台湾における)地域差異」を包含するものへと変遷させることを試み、従来の外省人とそれに対比される本省人の話題を「『台北都市圏の中産階級』と『中南部郷村選出の市民』」で置き換えることを推進してきた[6]

「南北差異論」は本来は国民党内の政治闘争を提議するものとして出現したが、現在では国民党と民主進歩党(民進党)の2党による、主に選挙期間中に強調される政党間の闘争へと意味合いが変貌している。2000年以降は北藍南緑(中国語版)[註 1]という用語が登場し南部人と北部人の差異を広報する手段として用いられるようになった[6]
忘中

21世紀になってからは台湾高速鉄道高雄捷運の開業などで南部の交通インフラには一定の改善がみられたが、依然として台中市を中心とした中部での整備が遅れていることについて、台中市選出の時代力量所属立法委員洪慈庸2016年桃園空港偏重の航空政策を批判する際に[13]、市内の鉄道網整備を掲げていた台中市長林佳龍2017年に鉄道インフラの整備の遅れを批判する際にそれぞれ「重北軽南忘台中」と表現した[14]
環境格差「zh:台灣南北差距」も参照

2018年中華民国統一地方選挙を控えた民進党陣営は高雄市での遊説で、「国民党の長期執政がもたらした「重北軽南」は台北市の地下空間をMRTに、高雄市の地下空間を石油化学製品のパイプラインにした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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