凡例新田 義俊/里見 義俊
時代平安時代末期
生誕不詳
死没嘉応2年(1170年)
別名大新田里見太郎[1]、大新田入道
氏族清和源氏新田氏流里見氏(竹林氏
新田 義俊/里見 義俊(にった よしとし/さとみ よしとし)は、平安時代末期の武将。 事績などは不明だが、里見氏に伝わる家系図に義俊の名が記されている。 新田氏の初代当主新田義重の庶長子だったが[3]、妾腹のために家督を嫡出の異母弟の義兼に譲って分家し、上野国新田荘竹林(高林)郷[4]を与えられた。
略歴
父・義重に先立ちこの世を去った。天台宗・里見山光明寺に葬られている[7]。
異説としては、建久4年(1193年)8月に安房国守護となり、安房国平郡(平群郡)を拠点とした安房里見氏の祖となったという[8]。
系譜
父:源義重
母:不詳
妻:不詳
男子:里見義成
次男:田中義清
脚注^ 新田荘内の竹林郷(高林とも)を領したため、竹林六郎太郎とも呼ばれていた。
^ 新田氏系田中氏の祖。
^ 『姓氏』(樋口清之監修/丹羽基二著)では、三男とする。
^ 現在の群馬県太田市高林寿町・高林北町・高林東町・高林西町・高林南町など。
^ 現在の群馬県高崎市上里見町・中里見町・下里見町。
^ 上里見城・神山城とも。
^ 上野国里見山光明寺にある『光明寺縁起』によると、義俊は建仁4年/元久元年(1204年)に没したと伝わる。
^ 『姓氏』が引用する斎藤夏之助の『安房志』より。
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