里中茶美
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出典検索?: "里中茶美" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2023年10月)

さとなか ちゃみ
里中 茶美プロフィール
別名義チャーミー
愛称チャミ
生年月日1975年10月14日
現年齢48歳
出身地 日本沖縄県沖縄市
血液型A型
公称サイズ(1989年時点)
身長/体重157 cm / 43 kg
BMI17.4
スリーサイズ80 - 55 - 83 cm
単位系換算

身長 / 体重5 3 / 95 lb
スリーサイズ31 - 22 - 33 in

活動
デビュー1989年4月21日
他の活動タレント歌手
事務所コットンキャンディ
アイドル: テンプレート - カテゴリ

里中 茶美(さとなか ちゃみ、本名:邊土名 茶美〈へんとな ちゃみ〉、1975年昭和50年〉10月14日 - )は、沖縄県沖縄市出身のタレント歌手である。
来歴・人物

幼少期に
沖縄アクターズスクールに入学、歌やダンスを習い始める。アクターズスクール在籍中の1988年5月から1989年3月には『沖縄クラブハートキャッチTV』にも出演、早坂好恵奥永知子らと、司会進行から選曲、振りつけなども担当し、歌やコントなどを繰り広げた。

秋元康を顧問に迎え、ポニーキャニオン主催のもと、キャッチTV内で選ばれた里中茶美、奥永知子早坂好恵が、「HeBeE」(ヒービー)という名前のプロジェクトで1989年から1990年にかけて順に歌手デビューを果たすこととなる。里中は沖縄アクターズスクール卒業後、このプロジェクトの先手を切ってのデビューとなった[1]

CDデビュー前には『少女雑貨専門TV エクボ堂』にチャーミーという愛称で出演。デビューする前の宮前真樹ら数人の若手らと共演した。番組内ではマスコットガールの名称として「エクボ少女」と呼ばれた。

1989年(平成元年)4月21日、13歳の時にポニーキャニオンより「ティーンエイジ・セレナーデ」でアイドル歌手メジャーデビュー[1]、デビュー時のキャッチコピー、キャッチフレーズは「青春に当たったアイドル。みなさん、こんにちわ。」。同期デビューには、島崎和歌子田村英里子細川直美川越美和などがいる[1]

デビュー時、応募による抽選でファンに配られたビデオの中では、尊敬する人を 「ミッキーマウス」、将来の夢を 「ミッキーマウスのように子供から大人までたくさんの人に愛されるような歌手になること」と語る。また、好きなキャラクターはセサミストリートに登場するクッキーモンスター 、グッズ集めは キティちゃんなどにもはまっている。

アイドル歌手としてのスタートはデビュー前の1989年4月4日、「里中茶美プレゼンテーション」と題し、東京ヤクルトホールでのデビューイベントを開催、その後7月8日からは「里中茶美、歌う ?COME COME HeBeES?」をスタート、デパートの屋上などを中心に日本全国30箇所以上にわたりミニコンサートを精力的に展開した。

1989年10月からは『東京イエローページ』で初代ページ7としてレギュラー出演開始、同時期にデビューの若手アイドルらと演歌から洋楽、ポップスからフォークまであらゆるジャンルの歌を毎週番組内で披露した。植木等スーダラ節を「スイスイ、スーダララッタ!」と流暢に朗読するコミカルな場面などもあった。

デビュー2年目の1990年春には里中茶美ファンクラブ「茶美ING CLUB」(チャーミングクラブ)が発足、初回入会時の特典としてはファンクラブ会員向けに「里中茶美プライベートビデオ」がプレゼントされた。また、毎月送られてくる会報にはイベント、テレビ出演の情報などがわかるもののほか、ミュージカルや新曲の情報、また印刷されたものではあるが里中本人による手書きの歌詞カードなどが同封された。さらに「電話でこんにちは」と題し、応募ハガキでの抽選で里中茶美と会員が電話で直接話せるという特典なども存在した。会報は4号まで発行された。

1990年(平成2年)4月からはFMヤングスタジオ』にもレギュラー出演開始、福島英絋と番組を進行、アイドルたちの曲を紹介していく。番組後半では里中をメインとした「茶美の声を大にして言いたい」というコーナーも設けられ、毎週リスナーから寄せられた伝えたいメッセージを里中が代わって大きな声で叫ぶというコーナーも番組を盛り上げた。また、番組スタートから3か月後には「茶美の元気出せよコーナー」がスタート、リスナーからの悩みや恋愛相談などをラジオを通して真剣に語った。

ラジオと同時期の1990年には『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』のアフレコにも挑戦、主人公の女の子「ジェニー」の声を担当した。また、7月末からはミュージカル『私のあしながおじさん』で主人公「ジュディ・アボット」役を熱演、63ステージを演じた、そんな中、FMヤングスタジオ卒業と同時期、ファンクラブが立ち上がって半年後の1990年10月、第4号となるファンクラブ会報誌を通して、突然の芸能活動休止が伝えられた。芸能活動をしていく上での勉強不足、また学校の勉強の方にも力をいれたいというのが理由とのこと。ファンには成長して戻ってくるとメッセージが伝えられた。その会報誌では、9月いっぱいで全ての芸能活動を休止すると書かれていたが、評判も上々となったミュージカル『私のあしながおじさん』はファンクラブも停止となった10月以降も継続され、翌年4月のアイドル活動休止直前まで追加公演が行われた。最終的なアイドル活動休止に入ったのは1991年の4月だった。

1991年(平成3年)4月5日、東京メルパルクホールで行われたミュージカル『私のあしながおじさん』の出演を最後に芸能界でのアイドル活動を休止、沖縄へ帰郷。デビューからの2年間にシングル5枚、アルバム1枚を残した。

1995年、オキナワクリスチャンスクールを卒業。

1990年代後半には「沖縄アクターズスクール」で秘書の仕事をするが、2000年代に入ると沖縄のローカルタレント辺土名茶美として本名で活動を再開。沖縄ケーブルテレビ 3ch「Paradise T.V.」では生活情報番組の司会を担当。また FM沖縄では2000年(平成12年)1月よりラジオ番組『CHAMIと HISANO のちょっと IN THE ROOM』がスタート、唐真久乃と一緒に10代から20代前半のリスナーたちに向けた芸能界の話題やコンサート情報などを紹介する番組のパーソナリティーとして活躍した[2]

2018年、彼女に直接会う機会のあった山咲トオルのブログに記載されていた内容によると、現在は芸能活動を引退し一般企業でビジネスウーマンとして働いているとのこと[3]

「茶美」という名前は本名で父・辺土名求小林一茶を好きだったことから「チャーミング」な子になるようにとつけられた、そんな茶美の兄弟には全員「茶」の文字が付いている。上から順に辺土名一茶、元プロゴルファーの邊土名二茶(ニーチェ)、茶海(サミ)、辺土名茶三海さらに茶里海(サリカ)と続く。ティアラ (ファッションモデル)は従妹(はとこ)にあたる。なお、自身がアイドル時代に飼っていた愛猫の名前は「茶」の文字はつかないが「ウーロン」という名前だった。

最終シングルとなった「オリバー」は『ニューヨーク子猫ものがたり』のイメージソングとなっているが、彼女がレギュラー出演をした『FMヤングスタジオ』内で本人が語ったエピソードによると、レコーディングに関しては里中茶美としてではなく、アニメの主人公ジェニーちゃんをイメージして歌唱したとのこと。

ディスコグラフィ


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