里中満智子
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里中 満智子
2023年10月、内閣総理大臣官邸にて
生誕 (1948-01-24) 1948年1月24日(76歳)
大阪府大阪市都島区[1]
職業漫画家
大学教授
称号文化功労者
活動期間1964年 -
ジャンル少女漫画
代表作『アリエスの乙女たち
天上の虹
公式サイト ⇒里中満智子 公式ブログ
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里中 満智子(さとなか まちこ、女性、1948年1月24日[1] - )は、日本漫画家大阪芸術大学教授。公益社団法人日本漫画家協会理事長(2018年6月[2] - )。大阪府大阪市都島区出身[1]。描いた作品数は2019年時点で500を超える[3]
来歴2009年9月6日、国際マンガサミットフェスタにて国際マンガサミット実行委員会委員長水島新司(左端)、環境大臣斉藤鉄夫(中央)、日本漫画家協会常務理事ちばてつや(右から2人目)、デジタルマンガ協会会長モンキー・パンチ(右端)と

小学校入学に際して何か本を買ってあげるといわれ、親と本屋に行った際に、当時創刊された月刊なかよしを購入する。その中の手塚治虫『とんから谷物語』を好きになり、そこから少年マンガも読み始め『鉄腕アトム』や、すでに連載が終わっていたが当時はまだ珍しかった単行本になっていた『ジャングル大帝』を愛読した。『火の鳥』を模倣して自分で書いた『海のオーロラ』で時間の流れをコマ割りで読者に確実に伝える手塚の技法を模倣した。19歳の時、生の手塚治虫に見かけた時、気持ちがフワフワして、緊張した。24歳の時、新幹線ひかりで大阪まで手塚治虫と2人だけで移動する事になり、究極のエロティシズムを書きたい話や奥様の話を聞くというチャンスにめぐまれた。

中学在学中から漫画家を志していた。成績は良かったが、漫画が悪書とみなされていた時代であったので、学校の教師や母親は漫画家になることには強く反対していた。「テストで1問間違えたら、漫画を1冊捨てる」という条件を母親に出し、優先順位をつけて本当に残したい蔵書は守りつつ、漫画との関わりを続けた。手塚作品が様々な歴史の知識や科学理論を背景としていることから幅広い読書の必要性を痛感し、高校進学後も含めて図書館の本を読み漁った[3]

16歳で第1回講談社新人漫画賞で1位入賞し、そのままデビュー。週刊誌が取材に来るほどの脚光を浴び、親や教師も漫画家になることを賛成するようになった。人物描写力を磨くため、目をつぶって新聞で指さした記事の当事者になりきって考えるという独特のトレーニングを編み出した。大学受験が近づくと、漫画業を一時休むことを勧められたが、「学校は一生は行かないが、仕事は一生」と考えて、3年生で大阪市立桜宮高等学校を中退した[3][4]。その後、当時の少女漫画で描かれたような「恋」や「ときめき」だけでなく、激しい愛のあり方や、愛によって生まれる憎しみや苦しみ、道ならぬ恋愛などを描いた。それらはやがて少女漫画というジャンルを超えて、大人の女性も読む恋愛ドラマとしてその世界を広げていった。

近年では、『天上の虹』(2015年完結)やギリシア神話、名作オペラ、『旧約聖書』のコミカライズ等を出版している。創作活動以外にも多彩な社会活動を行なっており、過去現在ともに学識経験者・文化人として実績がある。

コミック表現の自由を守る会」世話人、「漫画原稿を守る会」賛同者など、漫画家の権利と地位向上に関する活動にも熱心である。国が計画中の漫画・アニメ等を展示する施設「国立メディア芸術総合センター(仮称)」を推進する立場を取っており、新聞報道などで同施設が「国立漫画喫茶」と書き立てられたことに「誤解されていると危惧している」とコメントしている[5]。その上で、近年取り上げられている児童ポルノ法改正案に対しては「表現の自由を侵害する」として慎重な立場を取っており、創作物の規制/単純所持規制に反対する請願署名市民有志の賛同人として名を連ねている[6]2010年東京都青少年の健全な育成に関する条例改正に反対する記者会見にもちばてつや永井豪竹宮惠子らとともに出席している。また放送倫理・番組向上機構(BPO)評議員会議長代行を務める。
影響


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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