酵素反応速度論
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化学上の未解決問題なぜ拡散より速く動態を示す酵素があるのか?[1]
大腸菌ジヒドロ葉酸還元酵素。活性部位に2つの基質ジヒドロ葉酸 (右) とNADPH (左) が結合している。蛋白質はリボンダイアグラムで示されており、αヘリックスは赤、ベータシートは黄、ループは青に着色されている。 ⇒7DFRから作成。

酵素反応速度論 (こうそはんのうそくどろん) とは酵素によって触媒される化学反応反応速度の面から研究する学問。酵素の反応速度論を研究することで、酵素反応の機構、代謝における役割、活性調節の仕組み、薬物が酵素をどう阻害するかといったことを明らかにできる。

酵素は通常蛋白質分子であり、他の分子 (酵素の基質という) に作用する。基質は、酵素の活性部位に結合し、段階的に生成物へと変化を遂げる。この過程は、反応機構と呼ばれる。反応機構は、単一基質機構と、複数基質機構に分類できる。

一つの基質としか結合しない酵素、例えばトリオースリン酸イソメラーゼの研究では酵素が基質と結合する際の解離定数や回転率の測定を目指す。

酵素が複数の基質と結合する場合、例えばジヒドロ葉酸還元酵素 (右図) では、基質が結合し、生成物が解離する順序を明らかにすることもできる。1つの基質と結合し、複数の生成物を放出する酵素の例としてプロテアーゼ が挙げられる。この酵素は1つの基質蛋白質を切断して、2つのポリペプチドにする。2つの基質を1つに結合する酵素もある。DNAポリメラーゼヌクレオチドをDNAに結合する。これらの酵素の反応機構は複雑で何段階にも及ぶことが多いが、通常律速段階があって、これが全体の反応速度を決定する。律速段階は化学反応であったり、(生成物が酵素から離れる際など) 酵素や基質のコンフォメーションの変化であったりする。

酵素の立体構造が分かると、速度論的な情報の解釈に有利である。例えば構造から触媒過程で基質や生成物がどのように結合しているか、反応中にどう変化するかが分かる。また、特定のアミノ酸残基が反応機構で果たす役割が分かることもある。酵素によっては反応中に構造が大きく変化するものがあるが、このような場合は酵素の構造を触媒を受けない基質類似体が結合した場合と、結合していない場合それぞれで決定しておくとよい。

生体で触媒として働くのは蛋白質でできた酵素だけではない。RNAによる触媒、つまりリボソームのようなリボザイムは、RNAスプライシング翻訳といった多くの過程で不可欠である。リボザイムと酵素の主要な違いは、RNAのほうが触媒できる反応が限られているということだ。もっとも、RNAによる触媒の機構も、蛋白質酵素の場合と同じ方法で解析し、分類することができる。
総論反応速度は基質 (substrate) 濃度に合わせて上昇するが、基質濃度が十分高くなると飽和する。

酵素によって触媒される反応でも、その反応物と生成物は触媒を受けていない場合と変わらない。他の触媒と同じく、酵素も反応物と生成物の間の化学平衡を動かすことはない[2]。ただし、触媒されていない反応と違って、酵素触媒下の反応は反応速度に飽和点を持つ。ある酵素濃度のもとで基質濃度が相対的に低いと、反応速度は基質濃度に比例して上昇する。酵素分子は自由に反応を触媒でき、基質濃度が上がれば基質と酵素が出会う頻度も上昇するからだ。ところが基質濃度がある程度高くなると、反応速度は理論的上限値に漸近する。酵素の活性部位は、ほとんど全て基質と結合してしまい、反応速度は酵素固有の回転率によって決まるようになる。この両極端のちょうど中間にあたる基質濃度は、KMで表される。

酵素の速度論的特徴の中で特に重要なのは特定の基質に対して酵素が飽和するのはいつかということと、その時の最大反応速度がどれだけかということである。これらの特徴から、酵素が細胞の中でどんな働きをしており条件が変化したときに酵素がどう反応するかを推察できる。
酵素の試験酵素反応の進行を図にしたもの。初期速度区間 "initial rate period" と示された部分の傾きは、初期速度 v を表す。 ミカエリス-メンテンの式は基質濃度を変化させたときにこの傾きがどう変わるかを表現する。

酵素の試験 (アッセイ) とは、実験室で酵素反応の速度を測ることである。酵素は反応を触媒する過程で消費されることはないため、実際に測るのは基質か生成物の濃度変化である。測定方法にはいろいろある。紫外・可視・近赤外分光法では、生成物と反応物の吸光度の違いを測る。放射能分析では生成物が徐々にできてくるのを放射性元素の取り込みや放出によって測る。分光法は、反応速度を連続的に測定できるので便利である。放射能分析では、サンプルを取り出して測定する必要がある (非連続的分析である) が、多くの場合非常に鋭敏で、ごくわずかな酵素活性でも測定できる[3]。よく似た方法として質量分析器を使う手もあり、基質が生成物へ変化する過程で安定同位体が取り込まれたり放出されるのを観測する。

最も敏感な酵素測定法はレーザを使う方法である。顕微鏡下で酵素1分子にレーザの焦点を合わせ、反応を触媒する過程での変化を観察する。反応中に補因子蛍光が変化するのを測定したり、蛋白質の一部分を蛍光色素でラベルして触媒中の動きを調べる[4]。こうした実験から酵素単一分子の速度論やダイナミクス (反応中の動き) について新しい知見が得られつつある。従来の方法は数百万にも及ぶ多数の酵素分子の挙動を平均的したものを観察していた[5][6]

酵素測定における典型的なグラフが左に示してある。反応開始時点では初期速度にしたがって線形に (時間に比例して) 生成物ができる。時間が経つ (グラフの右) と反応速度は低下する。基質が消費され生成物が蓄積するからだ。初期速度で反応が進む時間の長さは、測定条件によって変わり、数ミリ秒のこともあれば、数時間に及ぶこともある。通常の測定ではこの期間が約1分になるようにしておくと実験が容易である。ただし、液体を急速に混ぜ合わせる装置を使えば初期速度の段階が1秒に満たない反応でも測定できる。これをストップフロー法という[7]。これらの高速な測定技術は、後述するように定常状態に達する前の速度を調べるのに不可欠である。

酵素反応速度論の実験では反応のこの初期部分、つまり生成物が時間に比例してできてくる線形部分に注目することが多い。しかし、反応全体を測定してそのデータを非線形の速度方程式に当てはめることもできる[8]。このような測定をprogress-curve 解析という。この方法は初期速度が速すぎて正確に測定できないときに有効である。
単一基質反応

単一基質機構を持つ酵素としてはトリオースリン酸イソメラーゼや二ホスホグリセリン酸ムターゼのようなイソメラーゼや、アデニル酸シクラーゼやRNAリアーゼであるハンマーヘッドリボザイムのような分子内リアーゼがある。ただし基質が一つしかない酵素でも反応機構は単一基質機構でないことがある。カタラーゼがその例で、まず基質である過酸化水素の1つ目の分子と反応して酵素自身が酸化され、続いて2つ目の分子によって還元される。確かに基質は1種類だが修飾された酵素が中間体として存在している以上、カタラーゼの反応機構はピンポン機構というべきである。これについては複数基質反応として後述する。
ミカエリス-メンテン速度論酵素反応の飽和曲線。基質濃度と反応速度の関係を示す。酵素反応の単一基質機構。 k1、 k-1 、k2 は、各段階の速度定数である。詳細は「ミカエリス・メンテン式」を参照

酵素によって触媒される反応は飽和を示すので、反応速度は基質を増やしてもそれに比例して線形に増えるわけではない。反応の初期速度を基質濃度 ([S]で表す) を変えながら測定すると、反応速度 (v) は右に示すように、[S] にあわせて上昇する。しかし[S] がさらに増えると酵素は基質で飽和し、反応速度は酵素の最大反応速度 Vmaxに達する。

単一基質反応におけるミカエリス-メンテンのモデルを右に示した。まず酵素 E と基質 S が反応して、酵素基質複合体 ES を作る二分子反応が起こる。単分子反応 E S → E + P {\displaystyle ES\rightarrow E+P} で表される触媒反応の機構は実際には複雑かもしれないが、通常1つの律速段階があって、触媒作用を速度定数k2を持つ1つの触媒反応で表現できる。 v = k 2 [ ES ] {\displaystyle {\begin{matrix}v=k_{2}[{\mbox{ES}}]\end{matrix}}}     (式 1).

k2は、kcatや回転数とも呼ばれ、酵素が1秒に行える反応回数の上限を示す。

基質濃度 [S] が小さい場合、酵素は遊離型 E と基質酵素複合体 ES の平衡状態にある。[S] を増やすと[E] が減って [ES] が増え、平衡が右に傾く。反応速度は [ES] によって決まるため、[S] のわずかな変化でも反応速度が大きく変わる。しかし、[S] が非常に大きくなると、酵素は完全に基質で飽和し、全て基質酵素複合体 ES となる。こうなると、反応速度 (v?k2[E]tot=Vmax) は、[S]が少し変化したくらいでは変わらない。ここで、[E]totは、酵素の全濃度であり、 [ E ] t o t   = d e f   [ E ] + [ ES ] {\displaystyle [{\mbox{E}}]_{\mathrm {tot} }\ {\stackrel {\mathrm {def} }{=}}\ [{\mbox{E}}]+[{\mbox{ES}}]}


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