酒詰 仲男(さかづめ なかお、1902年〈明治35年〉5月29日 - 1965年〈昭和40年〉5月31日)は、日本の考古学者、文学博士。 東京出身。東京開成中学校に入学し、3年時に両親[注釈 1]の不仲から母の地縁で京都へ移り、京都府立京都第一中学校に転入[1]。同志社大学文学部英文科卒。筆名は土岐仲雄[注釈 2]。東京開成中学校教諭、大山史前学研究所所員、東京帝国大学助手、1954年同志社大学教授。 開成中学の英語教員時代、同僚石田外茂一
人物・来歴
1938年研究会誌「貝塚」を刊行[3]。関東地方の貝塚研究、縄文時代の粟栽培説、石器時代の食糧について研究を進めた。息子にフランス文学者の酒詰治男
がいる。