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鶴岡県(つるおかけん)は、1875年(明治8年)に羽後国南部、羽前国西部を管轄するために設置された県。現在の山形県庄内地方にあたる。本項では前身の酒田県(第2次、さかたけん)についても記す。目次
1 概要
2 沿革
3 管轄地域
4 歴代知事
4.1 酒田県(第2次)
4.2 鶴岡県
5 関連項目
概要が望まれています。
主に旧庄内藩の支配地域を管轄した。なお、鶴岡県県令の三島通庸は引き続き山形県令を務めている。
沿革
1871年(明治4年)11月2日 - 第1次府県統合により松嶺県、大泉県が統合され、羽後国南部、羽前国西部に酒田県(第2次)が発足。県庁は飽海郡酒田(現在の酒田市)に設置。
1875年(明治8年)8月31日 - ワッパ騒動の影響により、県庁を田川郡鶴岡馬場町(現在の鶴岡市馬場町11-45)の旧致道館に移転して鶴岡県に改称。
1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により、山形県に編入。同日鶴岡県廃止。
管轄地域
羽後国
飽海郡
羽前国
田川郡
歴代知事
酒田県(第2次)
1871年(明治4年)11月2日 - 1874年(明治7年)12月3日 - 参事・松平親懐(前大蔵省七等出仕、元庄内藩藩士)
1874年(明治7年)12月3日 - 1875年(明治8年)8月31日 - 県令・三島通庸(元薩摩藩士)
鶴岡県
1875年(明治8年)8月31日 - 1876年(明治9年)8月21日 - 県令・三島通庸(前鶴岡県令)
関連項目
庄内藩 - 鶴岡藩、大泉藩。
庄内地方
ワッパ騒動
先代:
松嶺県・大泉県行政区の変遷
1871年 - 1876年次代:
山形県
表
話