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出典検索?: "酒井忠寛" 庄内藩主
凡例酒井 忠寛
時代江戸時代後期
生誕天保10年2月19日(1839年4月2日)
死没文久2年9月17日(1862年11月8日)
別名富之進(幼名)、忠寛
戒名泰雲院殿仰誉俊徳瑞光大居士
墓所山形県鶴岡市家中新町 大督寺
官位従四位下、左衛門尉
幕府江戸幕府
藩出羽庄内藩主
氏族左衛門尉酒井家12代当主
父母父:酒井忠器、母:伊藤氏の娘
兄弟酒井忠発、増山正修、市橋長和、米津政易、米津政明、忠寛、ほか
妻なし
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酒井 忠寛(さかい ただとも)は、出羽庄内藩第10代藩主。酒井佐衛門尉家第16代当主。第8代藩主・酒井忠器の十二男。第9代藩主・酒井忠発の弟。 天保10年(1839年)2月19日、第8代藩主・酒井忠器の12男として生まれる。安政6年(1860年)12月16日、兄の長男・忠恕の急逝により、嫡子となって叙任する。 文久元年(1861年)8月6日、兄の隠居により家督を継ぐ。同年12月(西暦で1862年)、従四位下に叙任する。文久2年(1862年)9月17日、当時流行していた麻疹が原因で死去した。享年24。正室も側室もなかったために子はなく、家督を甥(兄・忠発の五男)の忠篤が継いだ。
略歴
系譜
父:酒井忠器
母:伊藤氏
正室:無し
養子
男子:酒井忠篤 - 酒井忠発の五男
歴
酒井左衛門尉家第16代当主(1861年 - 1862年)
宗家
氏忠
忠勝
康忠
忠親
忠次
家次
忠勝
忠当
忠義
忠真
忠寄
忠温
忠徳
忠器
忠発
忠寛
忠篤
忠宝
忠篤
忠良
忠明
忠久