酉の市
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鷲神社 (台東区)の酉の市

酉の市(とりのいち)は、例年11月酉の日[1]に行われる。酉の祭(とりのまち)、大酉祭(おおとりまつり)、お酉様(おとりさま)ともいう。埼玉県ではおかめ市(おかめいち)と呼ばれることも多く、一般的には12月に行われる。
概説花園神社東京都新宿区)の「酉の市」で、縁起熊手を売る露店歌川広重名所江戸百景』より「浅草田圃酉の町」。吉原妓楼の一室から、鷲神社へ参る人の賑いを遠くに望む[2]大國魂神社の末社・大鷲神社の「酉の市」で、縁起熊手を売る露店。

酉の市は、鷲神社、酉の寺、大鳥神社など鷲や鳥にちなむ寺社の年中行事として知られ、関東地方を中心とする祭りである。多くの露店で、威勢よく手締めして「縁起熊手」を売る祭の賑わいは、年末風物詩である。

鷲神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀り、武運長久、開運、商売繁盛の神として信仰される。関東地方では鷲宮神社埼玉県久喜市)が鷲神社の本社とされる[3]。同社の祭神は、天穂日命武夷鳥命大己貴命である。日本武尊が東征の際、同社で戦勝を祈願したとされる。古くからこの神社を中心に「酉の日精進」の信仰が広まり、12月の初酉の日には大酉祭が行われる。

江戸時代には、武蔵国南足立郡花又村(現・東京都足立区花畑)にある大鷲神社(鷲大明神)が栄え、「本酉」と言われた。この花又鷲大明神を産土神とする近在住民の収穫祭が、江戸酉の市の発祥とされる。現在の同社の祭神は日本武尊で、東征からの帰還の際、同地で戦勝を祝したとされる。江戸時代には、花又の鷲大明神(本地)は鷲の背に乗った釈迦とされた。この神社の酉の市は、15世紀初めの応永年間に始まるとされ、参詣人は、を献納して開運を祈り、祭が終了した後浅草観音堂前(浅草寺)に献納した鶏を放った。

江戸時代後期から、最も著名な酉の市は、浅草鷲神社(おおとりじんじゃ)と酉の寺 長國寺(とりのてら ちょうこくじ)境内で行われた酉の市である。江戸時代には浅草の鷲大明神(本地)は鷲の背に乗る妙見菩薩とされた。「現在の足立区花畑の大鷲神社を「上酉、本酉」、千住にある勝専寺を「中酉」、浅草の鷲神社と酉の寺 長國寺を「下酉、新酉」と称しており、江戸時代に盛大な酉の市はこの3カ所であった。幕末には巣鴨、雑司ヶ谷などの大鳥神社でも酉の市が開催されるようになる。明治時代になると千住・勝専寺の酉の市は閉鎖されたが、江戸時代から続く酉の市はいくつかあり現在も賑わっている。

浅草の鷲神社と酉の寺 長國寺の東隣には新吉原という遊郭が存在し、酉の市御例祭の日には遊郭内が開放されたといわれ、地の利も加わり最も有名な酉の市として現在に至る。規模(熊手店約150店舗・露天約750店)賑わい(毎年70万人?80万人の人出)とも日本一の酉の市である。
酉の市で知られる寺社「鷲神社」も参照

酉の市は、商売繁盛を願う祭りとしてはえびす講と双璧をなすものであるが、えびす講が京阪神を中心に西日本のみならず東日本でも広く行われているものであるのに対し、発祥の地である関東地方周辺に限局する傾向が強く見られる。なお、明治以降静岡県浜松市愛知県豊橋市の一部の寺社でも開催されるようになり、近年では名古屋市中村区の神社でも行われるようになっている[4]。酉の市を開催することで知られる著名な寺社には以下のものがある。下記以外にも関東地方南部で酉の市(熊手市)を行う寺社は複数ある。

大鷲神社(東京都足立区) ※江戸酉の市の発祥の神社

鷲神社(東京都台東区) ※関東三大酉の市のひとつで日本最大の酉の市、浅草酉の市が行われる

酉の寺・長國寺(東京都台東区)※浅草酉の市の発祥の寺

花園神社(東京都新宿区) ※合祀された大鳥神社の祭りであり、関東三大酉の市のひとつ


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