鄭大世
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鄭 大世

サッカー北朝鮮代表での鄭大世(2010年6月)
名前
愛称テセ、ちょんちょん、テセペロ、人民のルーニー、てっちゃん、兄貴、北朝鮮の英雄
カタカナチョン テセ
ラテン文字CHONG Tese / JUNG Dae-se/Jong Tese
ハングル???
基本情報
国籍 韓国
北朝鮮[注 1]
生年月日 (1984-03-02) 1984年3月2日(40歳)
出身地 日本愛知県名古屋市
身長181cm
体重80kg
選手情報
ポジションFW
利き足右足

クラブ1
年クラブ出場(得点)
2006-2010 川崎フロンターレ 112 (46)
2010-2012 VfLボーフム 39 (14)
2012 1.FCケルン 10 (0)
2013-2015 水原三星ブルーウィングス 72 (23)
2015-2020 清水エスパルス 106 (45)
2020→ アルビレックス新潟(loan) 26 (9)
2021-2022 FC町田ゼルビア 77 (11)
通算442 (148)
代表歴2
2007-2011 朝鮮民主主義人民共和国33 (15)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年10月28日現在。
2. 2011年11月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

鄭 大世
各種表記
チョソングル:???
漢字:鄭大世
発音:チョンデセ
日本語読み:てい だいせ
RR式:Jeong dae-se
MR式:Ch?ng tae-se
英語表記:Jong tae se
テンプレートを表示

鄭 大世(チョン・テセ、: ???、1984年3月2日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションはフォワード(FW)。元北朝鮮代表[1]

在日韓国人3世で、大韓民国(韓国)籍を所有している。
来歴
生い立ち

大韓民国籍の父親と朝鮮籍の母親を持つ在日コリアン3世として生まれる[2]。母親は在日の朝鮮学校初等部の元音楽教師[3]。愛知朝鮮第二初級学校(日本の小学校に相当)4年生の時にサッカーを始める。朝鮮大学校体育学部に在籍し、蹴球部所属時には東京都大学サッカーリーグ下部でプレーする傍ら、サッカー代理人契約を結んだ田邊伸明の紹介を受け、プロ入りを目指してJリーグの数チームで練習生として参加。
クラブ
川崎フロンターレ

川崎フロンターレの練習に参加した際の、亜細亜大学との練習試合で挙げた4得点などが評価され、卒業後の2006年に川崎に入団した。同大学から直接Jリーグへ進んだのはテセが初めてである。

初年度は交代出場が多かったものの、コンスタントに出場機会を得て、同年7月19日のJ1第13節・鹿島アントラーズ戦(カシマ)でJリーグ初得点を挙げた。

2007年にはAFCチャンピオンズリーグ2007にも出場し、このとき初めて訪れたという韓国での全南ドラゴンズ戦で得点を挙げ、川崎のグループリーグ突破に貢献した。また、同年10月28日に行われたJ1第30節・FC東京戦(味の素スタジアム)では、自身プロ入り初となるハットトリックを記録[4]した。2007年シーズンの後半からはスタメンに定着しゴールを量産、12得点をあげた。
VfLボーフム

2010南アフリカワールドカップ後にドイツ・ブンデスリーガ2部ボーフムへ2年契約(1年間の延長オプション付き)で移籍が決定した。

2010-11シーズンは、ホームでの開幕戦・1860ミュンヘン戦に先発出場し、2ゴールを決める活躍を見せ[5]フリートヘルム・フンケル監督から「彼には驚かされている。あんなにオープンなアジア人は見たことがない。彼の成長を見るのが、毎日楽しみなんだ。」と評価された[6]。このシーズン、チームは昇格プレーオフで敗れ、1部昇格は逃すも自身はリーグ戦10得点を挙げる活躍を見せた。
1.FCケルン

2012年1月、ブンデスリーガ1部1.FCケルンへの移籍が発表された[7]。しかし、目立った活躍は残せず、移籍先を探すようになる。
水原三星ブルーウィングス

2013年1月10日、Kリーグクラシック(Kリーグ1部)・水原三星ブルーウィングス[8]。2013年6月16日、国立競技場で開催された東日本大震災復興支援 2013Jリーグスペシャルマッチにゲストプレイヤーとして出場した。
清水エスパルス

2015年7月8日、日本の清水エスパルスへ移籍することが発表された[9][10][11]。報道では、4億から5億ウォン(約4000万円から5000万円)の移籍金と、年俸6億ウォン(約6000万円)の3年半契約[12] とされている。Jリーグでのプレーは2010年以来5年ぶりとなる。シーズン途中の加入であったが清水はJ2に降格してしまう。

J2降格後も清水に残留し、翌2016年には大前元紀と2トップを組んで、自身キャリアハイの26ゴールでJ2得点王を獲得。アシストもチームトップの10であり、清水の1年でのJ1復帰に貢献した[13]。2017年は主将を務めながら2桁10ゴールを記録した[14]

2018年以降はベンチを温める試合が増え、2020年は前半戦僅か2試合の出場に留まっていた。
アルビレックス新潟

2020年8月25日、アルビレックス新潟への期限付き移籍が発表された[15]。10月4日のFC町田ゼルビア戦では後半途中出場でハットトリックを達成[16]するなどシーズン途中加入で9得点を挙げるが、同年限りで契約満了となる[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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