鄒容
プロフィール
出生:1885年(光緒11年)
死去:1905年(光緒31年)4月3日
清 上海
出身地: 清 四川省重慶府巴県
職業:革命家
各種表記
繁体字:鄒容
簡体字:?容
?音:Zou Rong
ラテン字:Tsou Jung
和名表記:すう よう
発音転記:ゾウ ロン
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鄒 容(すう よう)は清末の革命家。著作の『革命軍』は辛亥革命に大きな影響を与えた。字は蔚丹。 1902年に日本に自費留学し東京の同文書院で学ぶかたわら革命運動に参加した。1903年、同級生の張継、陳独秀等と共に清国政府留学生監督である姚文甫
事跡
間もなく蘇報事件が発生すると鄒容は章炳麟と共に清国政府の要求を容れた上海共同租界により指名手配された。鄒容は自首し公判での清国政府との正面からの論戦を挑んだが、後に懲役3年の判決を受けた。収監2年目に20歳で獄中で病死している。
『革命軍』は内外で増刷され出版総数は百万部を超え、清末の革命関連書籍の中で最も多くの読者を獲得し、革命思想の宣伝に大きな影響を与えた。それ以降中華民国政治史で登場する?介石[1]、胡適[2]が青少年時代に『革命軍』を愛読し影響を受けている。
辛亥革命成功後の1912年3月29日、中華民国臨時大総統孫文は鄒容に対し陸軍大将軍を追贈し、1943年12月には重慶市政府は城内の新生路を鄒容路と改称している。また1946年6月に重慶市南区公園に鄒容烈士紀念碑が設置されその業績が顕彰されている。
注釈^ ?介石は日本の振武軍校時代に愛読していたことが記録されている。杜呈祥『鄒容的思想演変及其在中国現代革命史上之地位』(呉相湘主編『中国現代史叢刊』第一冊 203ページ)。
^ 1904年に上海梅渓小学で学んだ際に愛読した時に愛読した様子が『四十自述』(台北 1990年)58ページに引用されている。
外部連結
⇒『革命軍』全文
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