中華民国 湖北省 (中華民国)省
荊宜道荊宜道(けいぎ-どう)は中華民国北京政府により設置された湖北省の道。 1913年(民国2年)1月17日に荊宜施鶴道として設置、まもなく鄂西道と改称された。観察使は江陵県に設置され、下部に宜昌、江陵、公安、石首、監利、松滋、枝江、宜都、長陽、興山、巴東、五峰、?帰、恩施、宣恩、建始、利川、来鳳、咸豊、鶴峰の20県を管轄した。1914年(民国3年)5月23日に観察使は道尹と改められた。1921年(民国10年)8月、荊宜道と改称、一部管轄区域に施鶴道が新設され、管轄県は宜昌、江陵、公安、石首、監利、松滋、枝江、宜都、長陽、興山、巴東、五峰、?帰、荊門、当陽、遠安の15県とされた。1926年(民国15年)に廃止されている。 廃止直前の下部行政区画は下記の通り。(50音順)
沿革
行政区画
遠安県
監利県
宜昌県
宜都県
荊門県
公安県
興山県
江陵県
五峰県
?帰県
枝江県
松滋県
石首県
長陽県
当陽県
巴東県