この項目では、東京都立両国高等学校と附属する中学校について説明しています。墨田区立の中学校については「墨田区立両国中学校」をご覧ください。
東京都立両国高等学校・附属中学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分40.3秒 東経139度48分36.3秒 / 北緯35.694528度 東経139.810083度 / 35.694528; 139.810083
東京都立両国高等学校・附属中学校(とうきょうとりつ りょうごくこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう)は東京都墨田区江東橋一丁目に所在する東京都立中学校・東京都立高等学校。高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校。
校名に「両国」とあるが、両国ではなく錦糸町(駅南口・江東橋)に所在する。 ナンバースクールの旧制府立三中を前身とする。通称は「三高」(さんこう)。初代校長には八田三喜が就任し、スパルタ的な教育を行いつつも、学友会活動を重視し自律精神の養成に努めた。厳格な規律を重んじる校風は、2代校長の広瀬雄以降にも受け継がれ、今日まで続く校訓である「自律自修」の基礎を築いた。 1950年代?1960年代は第六学区トップ校として東京大学合格者を40?60名前後輩出。当時は千葉県からの越境通学者も多く、広範囲から生徒が集まっていた。学校群制度時代は墨田川高校・小松川高校と61群を組んだ。 2006年(平成18年)度より附属中学(3クラス、男女計120名)が開校し、中高一貫校に移行した。中学受験においては都立中高一貫校の中でも高い難易度を維持しており、一部では小石川・武蔵と共に「都立中御三家」と呼ばれている。 府立三中以来、自らを厳しく律し、自ら進んで学ぶという「自律自修」の校訓に基づいた教育がなされており、厳格な規律の中でも自主性を重んじる校風である。 芥川龍之介や堀辰雄、石田衣良など、文芸界の第一線で活躍する著名人を輩出してきた伝統は両国の国語教育に現れている。中学1年時から作文や論文の執筆や読解を求められ、一年間で複数のレポート・論文の執筆、中学3年時には高校レベルの評論文の読解など、卒業時まで一貫した「国語教育」「書かせる教育」が実践されている。出版活動も盛んで、高校・中学生徒会が1年間の集大成として発行する『365日』や、教員による研究結果を発表する『三高教室』という学術雑誌がある。 語学教育の一環として中学生で英語劇が行われ、9月に開催される両国祭の一つの目玉となっている。また、中学3年時と高校3年時には活きた英語を身につけることを目的とした「実践英語」が必修となっているなど、英語教育には積極的である。 地域の経済状況もあって、古くから「勉強の両国」と称されるほど総じて受験指導には熱心であった。補習や長期休業中の講習が多く開かれるほか、試験の成績上位者の張り出しや、学習面でのアンケートによる生徒の学習状況の把握などが行われる。中高一貫校化に伴って「予備校不要」の更なる強化を打ち立てている。なお、2005年より土曜授業を復活させている(4時間授業で年16?17日間)。
概観
教育方針
沿革創立当時の校舎の外観初代校長として尽力した八田三喜東京府立第三中学校からの眺め(右方向に錦糸町駅)。1920年代同上、亀戸方面の工場地帯を望む
1901年(明治34年)4月1日 - 東京府第一中学校(現:日比谷高)の分校(京橋区築地3丁目、現:東劇および京橋郵便局の場所)を「東京府第三中学校」と改める。同年7月に「東京府立第三中学校」と改称する。同様に、府立二中・府立四中もそれぞれ設立・改称される