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都市工学科(としこうがっか)は、都市計画や都市工学、交通工学、環境都市工学に関する研究や教育を目的とした大学等の学科である。他に、都市デザイン工学科、環境都市工学科、建設都市工学科[1]などの名称の学科もいくつか存在する。
かつては東京大学工学部のみに設置されていた。同学科では都市計画に関する専攻分野と衛生工学に関する専攻分野が開設されている。一方、1990年代に入っていくつかの大学、高等専門学校で土木工学科の名称を変更したり、工業高等学校で学科名称に採用された。 1962年に日本で最初の都市計画に関する専門教育課程として東京大学工学部に都市工学科が設置された。1966年に1期生が卒業した[2]。 2022年現在、同学科には都市計画が都市計画コースとなって9研究室、衛生工学が都市環境工学コースとなって8研究室を有する[3]。 1959年には日本都市計画学会から関係省庁宛てに国立大学における「都市計画研究所ならびに都市計画学科新規設立についての要望」が出され、1961年には東京商工会議所から公立大学における都市工学科創設要望が政府、国会に提出されるなど、高度経済成長期の激化する都市問題の解決に資する専門家の育成は社会的要請になっていた。 東京大学工学部都市工学科の設立趣意書では、国土の総合開発、都市の再配置、既成市街地の再開発から原子力利用に伴う水質汚濁の防止まで、様々な都市問題を背景とした、建築学、土木工学、衛生工学を統合する都市工学の役割の重要性が指摘されている。同時期に東京工業大学社会工学科の創設(1966年)や建築学科や土木工学科における都市計画講座の新設・拡充が続いた。 もともと、日本の大学には学科専攻間を取り持つ学科がないことを連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) は指摘していたが、化学と土木衛生分野を取り持つ学科として、1958年に土木工学科が衛生工学科新設を申請する[2]。 一方、建築学科は1960年に都市計画学科新設を申請する[2]。文部省からは「予算的に作る余裕はない。1つにしろ」ということであったため、当時工学部長であった武藤清建築学科教授のもとで、都市工学科として創設することにした[4]。 学科創設に際しなかなか同意をしない当時の文部省に高山英華、丹下健三らが出向く。その際担当課長が東京吉祥寺に在住であることを聞かされ、成蹊学園の出身でもあり、当時吉祥寺駅前広場の都市計画策定の委託を受けていた高山は吉祥寺の駅前の不備について言及、了承される運びとなる。
都市計画学及び衛生工学を専門とする学科
東京大学 工学部 都市工学科
設置の経緯