都久夫須麻神社
(竹生島神社)
八大竜王拝所(竜神拝所)
所在地滋賀県長浜市早崎町1665
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度25分14.5秒 東経136度8分38.7秒 / 北緯35.420694度 東経136.144083度 / 35.420694; 136.144083 (都久夫須麻神社)
都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)は、日本の近畿地方北東部の、琵琶湖に浮かぶ島である竹生島に鎮座する神社[2][3][4][5][6][7]。現在行政区画上では滋賀県長浜市早崎町(旧・東浅井郡早崎村)に属する(※過去については『所在地』を参照のこと)。竹生島神社(ちくぶしま じんじゃ)とも呼ばれている[2][4][8]。神体は竹生島そのもの。
神仏習合時代(本地垂迹時代)には、同島の宝厳寺と習合して、竹生島弁才天社/竹生島弁財天社( - べんざいてんしゃ)[9]、竹生島権現( - ごんげん)[9]、竹生島明神( - みょうじん)[10][4]などと呼ばれていた。往時も今も「日本三大弁才天(日本三弁天)」の一つに数えられる[11][2][4][9]。また、あまり知られていないが、「日本五大弁才天(日本五弁天)」の一つに数えられる[12]。
式内社[5]。旧社格は県社[5]。神紋は巳。 祭神について、滋賀県神社庁や長浜市は当社の由緒書の記述に基づいて以下の3柱としている[13][14]。辞事典も記述のあるものは3柱としている[2][4]。一方で、当の都久夫須麻神社は、宇賀福神と龍神(八大龍王)を別神として列し、4柱としている[15]。 宝厳寺黒龍堂
祭神
市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)
別名、竹生島大神(ちくぶしまのおおかみ)。宗像三女神のうちの一柱。元来は日本古来の水の神。神仏習合においては本地垂迹では弁才天に比定され、同神とされた。「日本三弁天」は全てこの神・この天部のことである。
宇賀福神(うがふくじん)
宇賀弁才天の別名。宇賀弁才天とは、出自不明の蛇神である宇賀神(ウカノカミ、うがじん)と習合する形で、中世日本において作為された、弁才天の一形態[16]である。
寺の境内にあるが、建築様式は神道の小祠で、前に鳥居が建つ。
浅井比売命(アサイヒメノミコト[1]、アザイヒメノミコト[15][注 1])
産土神の一柱。別表記:浅井比当ス[1]、浅井姫命。当社に関する最古の縁起である承平縁起はこの女神のみを祭神としており、竹生島縁起が形作られる初期から存在した唯一の神と考えられている[17]。
龍神(りゅうじん)
その実は、八大龍王の一尊である黒龍(こくりゅう)[注 2]。黒龍堂前の鳥居の扁額によれば、黒龍大神と黒龍姫大神の二柱(■右の画像を参照のこと)。黒龍を祀る黒龍堂は、黒龍伝説にまつわる神木の脇、当社へ向かう途中の宝厳寺境内にある[18][19]。
歴史
縁起「近江国風土記#竹生島の伝承」も参照竹生島遠景
左手の水辺にあるのが竹生島港。そこから石造りの鳥居・朱塗りの鳥居を通って参道を上った所に宝厳寺と都久夫須麻神社がある。