郷野聡寛
[Wikipedia|▼Menu]

郷野 聡寛基本情報
本名郷野 聡寛
通称ザ・ジャパニーズ・センセーション
(The Japanese Sensation)
DJ GOZMA
難攻不落のビッグマウス
GRABAKAの火薬庫
国籍
日本
生年月日 (1974-10-07) 1974年10月7日(49歳)
出身地東京都東久留米市
所属フリーランス
GRABAKA
→フリーランス
→Oxy Gym Fight Team
→Benkei MMA System
GRABAKA
身長176cm
体重77kg
リーチ168cm
階級ウェルター級ライト級
バックボーンサンボキックボクシング
テンプレートを表示

郷野 聡寛(ごうの あきひろ、1974年10月7日 - )は、日本男性総合格闘家キックボクサー東京都東久留米市出身。GRABAKA所属。東京都立小平高等学校卒業。元全日本キックボクシング連盟ヘビー級王者。

ニックネームは「難攻不落のビッグマウス」PRIDEでは、踊りやコスプレでの華やかな入場パフォーマンスで人気を博した。
来歴

幼い頃は野球をしていたが、リングスの影響で18歳でスポーツ会館サンボに入門した[1]

1995年10月13日、ザ・トーナメント・オブ・J '95のトーナメントに出場し、1回戦で村上一成(現・村上和成)に右ハイキックでKO勝ち。準決勝ではイーゲン井上腕ひしぎ十字固めで一本負け。

1996年3月30日、ザ・トーナメント・オブ・J '96で村上一成と再戦し、判定負け。

1996年5月7日、修斗でプロデビューを果たした。修斗時代には類稀なるセンスが光り、「総合格闘技の申し子」と称された。

1999年5月29日、修斗でマット・ヒューズと対戦し、判定負け。

2001年5月、菊田早苗率いる「GRABAKA」に移籍した。
パンクラス

2001年10月、パンクラスKEI山宮にKO勝ち。試合後パンクラスismの選手達を挑発。

2001年12月、グラバカとパンクラスismとの対抗戦で近藤有己にTKO負け。

2002年12月21日、パンクラスでKEI山宮と対戦し、KO勝ちを収めた。

2003年2月16日、パンクラスでチェール・ソネンと対戦し、0-0の判定ドロー。
PRIDE

2004年2月15日、PRIDE初参戦となったPRIDE 武士道 -其の弐-マウリシオ・ショーグンと対戦し、KO負け。

2005年1月4日、全日本キックボクシング連盟 『SURVIVOR』でキックボクシングルールに初挑戦。全日本ヘビー級王座挑戦者決定戦をコンボイ山下と対戦。1Rには左ハイキック、3Rには左フックでダウンを奪い、大差の判定勝ち。

2005年2月6日、全日本キックボクシング連盟『MOVING』で王者西田和嗣と全日本ヘビー級タイトルマッチで対戦し、4Rに右ストレートでKO勝ちを収め王座獲得に成功した(その後、2007年4月1日付けで返上)。

2005年3月6日、パンクラスで行われた全日本キックボクシング連盟公式試合で桜木裕司と対戦。2Rにカウンターの右ストレートでKO負け。

2005年5月2日、所属するGRABAKAがパンクラスから独立。

2005年5月22日、PRIDE 武士道 -其の七-クラウスレイ・グレイシーと対戦し、判定勝ち。

2005年9月25日、PRIDE 武士道 -其の九-のウェルター級(-83kg)トーナメント1回戦でダニエル・アカーシオに得意の戦術で判定勝ちするも、準決勝でダン・ヘンダーソンに右フックでKO負け。また、ダンとの試合で顎を骨折し、ボルトで固定する手術を受けた。

2006年4月2日、PRIDE 武士道 -其の拾-に出場してキム・デウォンと対戦し、1R腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。

2006年6月4日、PRIDE 武士道 -其の十一- ウェルター級グランプリ 2006 開幕戦では、ヘクター・ロンバードを翻弄し、判定勝利を飾る。2回戦となる8月26日のPRIDE 武士道 -其の十二- ウェルター級グランプリ 2006 2nd ROUNDでは、ゲガール・ムサシと対戦し2Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち、準決勝に駒を進めた。

2006年11月5日、PRIDE 武士道 -其の十三- ウェルター級グランプリ 2006 決勝戦では、準決勝でデニス・カーンと対戦し、3R判定負けを喫した。

2006年12月31日、PRIDE 男祭り 2006で、2001年12月の対戦以来5年ぶりとなる近藤有己とのリベンジマッチを行う。序盤にパンチを放った際に右手を骨折してしまい右手がほとんど使えない状態となるが、近藤に有効打を許さず、判定勝ち。リベンジを果たした。しかし、2005年のダン戦で埋め込まれていたボルト除去およびに視力矯正の手術を受けるため、戦線離脱を余儀なくされた。
UFC

2007年11月17日、UFC初参戦となったUFC 78タムダン・マクローリーに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。白星デビューとなった。また、サブミッション・オブ・ザ・ナイトを受賞した。

2008年3月1日、UFC 82ジョン・フィッチと対戦予定であったが、1月に右手を負傷し出場をキャンセル[2]。2月上旬に手術を行った。10月18日のUFC 89にて復帰し、ダン・ハーディーと接戦するも1-2の僅差で判定負け[2]。3RにはUFCで禁止されているグラウンド状態の相手への打撃を行ったことで減点1を受けていた。

2009年1月31日、UFC 94ジョン・フィッチと対戦し、3R判定負けを喫した[3]
戦極(SRC)

2009年6月9日、都内ホテルで行われた記者会見で、戦極に参戦することを表明した[4]

2009年8月2日、戦極初参戦となった戦極 ?第九陣?ダン・ホーンバックルと対戦し、3Rに右ハイキックを顔面に受け失神KO負けを喫した。そのまま担架で病院に運ばれるほどのダメージであった。

2009年12月31日、Dynamite!! ?勇気のチカラ2009?のDREAM vs SRC 対抗戦で桜井"マッハ"速人と対戦し、腕ひしぎ十字固めで2R一本勝ちを収めた。入場時には氣志團のコスプレをして、綾小路翔を従え『One Night Carnival』で入場した。

2010年3月7日、SRC12でディエゴ・ゴンザレスと対戦し、判定勝ち。

2010年7月3日、自身のブログにて同日付けでGRABAKAを退団したことを発表した[5]

2010年8月22日、ライト級転向初戦となったSRC14ジャダンバ・ナラントンガラグと対戦し、0-3の判定負けを喫した[6]。なお、ライト級に下げれば再契約も可能というオファーをこの時期にUFCから受けており、階級変更はそのための準備として実施したものであった。(階級変更を受け入れればそのままUFCと契約可能であったが、本人の意思でUFC復帰前にライト級の試合を何戦か行う方針をとっていた)[7]

2010年12月30日の戦極 Soul of Fightに出場予定であったが、練習中に右足小指を骨折し欠場となった[8]
戦極解散後

2011年5月29日、NJKFのMuayThaiOpen 16でTHAI FIGHT 70kgトーナメント日本代表決定戦に出場し、準決勝で堤大輔、決勝で山崎陽一に判定勝ちし、優勝を果たした。

2011年8月7日、THAI FIGHT EXTREME JAPANでIT'S SHOWTIME73kg級王者ヨハン・リドンと対戦し、3Rにダウンを奪われ0-3の判定負けを喫した。

2012年2月18日、約2年振りの総合格闘技での試合となったDEEP 57中村大介と対戦し判定負け。ライト級での試合であったが郷野は試合前日の計量で規定体重から900グラムオーバーしたためイエローカード二枚が提示された状態で試合が開始された[9]。この敗戦により、階級変更を条件としたUFC復帰のオファーは白紙へと戻ってしまった[7]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:38 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef