郡山町_(鹿児島市)
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郡山町
町丁
鹿児島市役所郡山支所
郡山町
北緯31度40分29.5秒 東経130度28分22.6秒 / 北緯31.674861度 東経130.472944度 / 31.674861; 130.472944
日本
都道府県鹿児島県
市町村鹿児島市
地域郡山地域
人口(2010年(平成22年)2月末現在)
 ? 合計3,045人
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号891-1105

郡山町(こおりやまちょう K?riyama-Ch?)は、鹿児島県鹿児島市町名。旧日置郡郡山郷郡山村、日置郡郡山村大字郡山、日置郡郡山町郡山。郵便番号は891-1105。人口は3,045人、世帯数は1,188世帯(2010年2月末現在)[1]

「郡山」という地名は日置郡の郡家(郡衙)が所在していたことに由来する[2]
目次

1 地理

1.1 河川


2 歴史

2.1 郡山の成立と中世

2.2 近世

2.3 町村制施行以降


3 施設

4 小・中学校の学区

5 交通

5.1 道路

5.2 バス


6 脚注

7 関連項目

地理

鹿児島市の北端部、甲突川上流域に位置している。町域の北方には薩摩川内市入来町浦之名、南方に小山田町、東方に油須木町花尾町、西方に西俣町郡山岳町が接している。

甲突川にほぼ沿って国道328号が南北に通っており、中央部で東西に通っている鹿児島県道40号伊集院蒲生溝辺線が交差しており、西部で県道40号が鹿児島県道36号川内郡山線と交差し、北方に通っている。

教育施設は鹿児島県立明桜館高等学校鹿児島市立郡山中学校鹿児島市立郡山小学校がある。鹿児島県立甲陵高等学校が2011年までは明桜館高等学校と同一施設内にあったが、甲陵高校は2012年3月末をもって鹿児島県立鹿児島西高等学校と統合し、明桜館高等学校が2010年平成22年)に設置されたことから閉校した。

その他は中央部には鹿児島市役所郡山支所(旧郡山町役場)があり、市町村合併以前は郡山町の中心地であった。

また、南部の市街地では1995年平成7年)から郡山都市計画事業郡山中央土地区画整理事業が行われており、2014年平成26年)に整備が完了する予定である[3]
河川

甲突川
町域内の甲突池を源流とする甲突川水系の本流であり二級河川である。町域のほぼ中央部を南方に向けて流れ、中心部で支流である油須木川と合流する[4]
歴史
郡山の成立と中世

郡山という地名は鎌倉期より見え、薩摩国満家院のうちであった。延応2年の比丘尼菩薩房・生阿弥陀仏田地去状に郡山という地名が見えるのが初見であると考えられている。鎌倉期頃はこの一帯を税所氏が治めていたが、鎌倉末期に税所氏から上原基員に与えられた[2]

南北朝期に入り、それまで郡山を治めていた税所氏は守護島津氏の攻撃により勢力を失い、郡山は島津氏側陣営であった郡山頼平によって治められることになったが、観応元年に伊集院忠国が郡山城を3日間包囲した後、郡山頼平は郡山城を放棄し、一帯は伊集院氏の配下となった。しかし、伊集院氏は後に島津氏により追われ、肥後国へ逃亡したため、郡山の区域は島津氏の直轄領となった[2]
近世

江戸期には薩摩国日置郡郡山郷(外城)のうちであり、当初は平田増宗の領地であったが、慶長15年より島津氏の直轄領となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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