邪馬台国の言語
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邪馬台国の言語(やまたいこくのげんご)では、『三国志』魏書東夷伝倭人、いわゆる魏志倭人伝に書かれた日本(邪馬台国)の固有名詞、およびそこから解析される言語について説明する。

魏志倭人伝における日本(倭)の地名、人名、官名は知られている最古の日本言語である(記述上の時系列でいえばそれ以前に『後漢書』東夷列伝があるが、『三国志』の編纂は『後漢書』に先行する)。その音韻は上代(奈良時代日本語上代日本語)の特徴と同じであり、日本語の記録史は卑弥呼の時代まで辿れるとも見なすことができる。
最古の日本語

魏志倭人伝には「倭国」の30の地名と8人の人名、そして14の(人名の可能性もある)官名が出てくる。これら52の音訳語は日本列島で用いられた言語の最古の直接資料である[1]。一覧表にすると下の表になる。

国名 30対馬一支末廬伊都(北九州)、不彌投馬邪馬臺、斯馬、巳百支、伊邪、都支、彌奴、 好古都、不呼、姐奴、對蘇、蘇奴、呼邑、華奴蘇奴、鬼、爲吾、鬼奴、 邪馬、躬臣、巴利、支惟、烏奴、奴(絶遠地)、狗奴
人名 8卑彌呼卑彌弓呼掖邪狗、伊聲耆、臺與、載斯烏越、難升米都市牛利
官名 14卑狗、卑奴母離、爾支、泄謨觚、柄渠觚、?馬觚、多模、彌彌、彌彌那利、伊支馬彌馬升、弥馬獲支、奴佳?、狗古智卑狗

倭人語の音韻表

これらを中国中古音(切韻)体系によって音節総表をつくり、倭人語の音韻の特徴を明らかにしたのが森博達である(下の表は森の表をやや簡略にしたものである。カッコに囲まれた字は合口字を表す)。

母音(韻類)
開閉陰声陽声入声回数
部果・仮遇蟹止効流
子音声類行清濁列歌麻麻模魚台佳斉支脂之微豪候尤nngptk
唇音?全清巴卑柄不百14
明次濁馬模.謨米彌母(末)27
牙音見全清觚,古佳(鬼)狗弓,躬16
群全濁渠耆2
疑次濁吾牛2
喉音影全清(倭)烏伊邑一9
暁全清呼好5
匣全濁(華)(獲)2
云(為)(越)2
以次濁邪与(惟)已掖8
舌音端全清多都(対)?智9
定全濁臺投3
泥次濁那奴難17
来次濁廬離利8
歯頭音精全清姐載2
心全清蘇斯泄6
邪全濁?1
正歯音章全清支7
書全清升,聲3
常全濁市臣2
日次濁爾1
回数3115372512351112111126163146

音韻結合の特徴

3世紀以前の倭人語の音韻結合の特徴は8世紀(奈良時代)の日本語の特徴と同じであることが、森博達らによって解明されている[1]。奈良時代(上代)における日本語の音韻結合の主な特徴としては
開音節母音終わり)を原則とする。

ア行は原則として頭音にくること。

頭音には原則としてラ行が来ないこと。

頭音には原則として濁音が来ないこと。

などがある。他方、倭人伝の訳音語を中国の中古音体系の「切韻」によって分類すると次のような特徴が明らかとなる。
開口字が全体の92%を占め[2]、母音終わりの文字が88%を占めている[3]。したがって、倭人伝の訳音語は開音節が原則となっている。「おそらく倭人語には、上代日本語と同様、閉音節(子音終り)は存在しなかったであろう」[4]

ア行に用いられた可能性のある字は「伊」「巳」「惟」「一」「邑」「烏」の6種類10字であるが、この内、語頭以外で用いられているのは「支惟国」、「呼邑国」および「載斯烏越」である。しかし「惟」が「邪(ヤ)」や「与(ヨ)」と同じ喉音「以」の子音(声類)に属しているので「ヤ」行の語であればア行ではなくなる。「邑」と「烏」も「倭(ワ)」と同じ喉音「影」の子音(声類)に属しているのでワ行であればア行ではなくなる。すなわち頭音でないところで使われているア行の字は見当たらなくなり、奈良時代の日本語の特徴に一致する。

ラ行と考えられる舌音「来」の子音に属する「廬」「離」「利」は、末盧国、都市牛利、彌彌那利、巴利国、卑奴母離の6例であり、すべて頭音にきていない。

語頭に濁音文字(全濁音字)が来ている語には「?馬觚」、「投馬」そして「臺与」の3つがある。しかし、これらの「全濁音字が場合によっては倭人語の清音を表すのに用いられた可能性もある」[5]。「臺与」は「とよ」、「投馬」は「づま」だが実際には「於投馬」で「えづま」と読む可能性が指摘されておりその場合頭音に濁音が来ないこととなり、奈良時代の日本語の特徴に一致する。

このように、倭人伝の訳音語は基本的に上代日本語の音韻結合の法則性に従う可能性の高いことが明らかになってきた。
音韻の種類の特徴

奈良時代(上代)における日本語の音韻の種類と構造は、同時代の中国の音韻と比較するとさらに次の様な特徴がある。
上代日本語には中国音韻のハ (h) 行(喉音<暁>や喉音<匣>)の音韻がない
上代日本語のハ行はパ (p) のような唇音であったので、中国中古音韻の喉音<暁>や喉音<匣>の声類に属する字はカ行音に表記されている。おなじ特徴が倭人伝の訳音語に見られる。「卑弥呼」の「呼」は中国音韻では喉音<暁>のハ行の子音(声類)であるが、後年の日本語では「ヒミコ」とカ行で訳された可能性が高いと考えられる。ここでも倭人伝の訳音語は上代日本語の音韻の種類と同じ性質を持っていることを示唆する。
上代日本語には中国音韻の次清音がない
万葉仮名には中国音韻の次清音字が使われている。しかし、日本書紀のα群と呼ばれる歌謡には、次清音字が仮名として全く使われていない。これはα群が中国人によって訳音された仮名文字が使用されたためと考えられている。中国人の耳には上代日本語に次清音がなかったことを意味している。倭人伝の訳音語にも次清音字は見られない。ここでも倭人伝の訳音語は上代日本語の音韻の種類と同じ性質を持っていることを示唆する。この特徴は、中国原音に基づいて音訳された語が倭人伝に多かったことを物語る。ただし、中国原音に基づかない、「卑弥呼」や「対馬国」などの表記があることも事実である。
音韻結合上の問題

ただし、上代日本語の音韻結合の法則性に従わないように見える特徴もある。
オ列甲類の使用頻度問題
切韻「模」韻字に属する「奴」や「都」や「呼」などは延べ37回、全体の約25%に使われている
[6]。森博達の見解では「模」韻字は上代日本語のオ列甲類を表す音節に使われる。ところが上代日本語のオ列甲類の使用頻度は4%と極めて少なく、倭人語とは顕著な差があると森博達は主張する。この違いをどう解釈するかという問題が残る[7]。解決点は「模」韻字の発音の変化にある。「模」韻字は中国中古音ではオ列を表す文字として使用されたが、後漢時代以前の上古音ではア列を表す文字として使われたことが知られている[8]。「奴国」の「奴」は「ナ」と発音されオ列甲音にならないのは、後漢時代に既に金印に「奴国」と刻印され、上古音のア列を表す文字として使われた過去を踏襲したからである。「模」韻字の「廬」も「末廬国」に「ラ」と発音されア列となっている。「模」も「多模」で「タマ」と発音しア行の可能性がある。つまり「模」韻字の属する「奴」「廬」「模」がのべ17回つかわれているが、それらすべてがア列で発音されるなら、残りの「模」韻字のオ列甲類の頻度は20回、全体の14%となる。さらに「蘇」が「サ」、「謨」が「マ」または「ム」、「吾」が「ガ」と発音されたなら、残りの「模」韻字のオ列甲類の頻度は15回、全体の10%となる。オ列甲類の使用頻度が10?15%であれば高いとは言えず、上代日本語の特徴と矛盾しない。
オ列甲類の複数存在問題
森の指摘する第二の問題は一語中におけるオ列甲類語の複数存在の問題である。上代日本語には特殊な語を除いて「同一結合単位に甲類のオ列音が複数存在することがない」[9]。ところが倭人語にはオ列甲類とみなされる「模」韻字の複数存在する例が5つみられる。 好古都国、蘇奴国、華奴蘇奴国、烏奴国および泄謨觚である。この問題の解決の糸口は、第一の頻度問題と同じく、倭人語の「模」韻字にはオ列ではなくア列を発音する語が少なからず存在することである。特に「奴」は「ナ」と発音されることがほぼ確実である。したがって蘇奴国、華奴蘇奴国および烏奴国に関してはオ列甲類が複数存在したことにはならない。泄謨觚に関しても「セムコ」あるいは「セマコ」と呼ばれたなら、オ列甲類が複数存在したことにはならない。ただし好古都国に関してはまだ解決の方策は見いだせない。好古都国が「クカト」国あるいは「コカツ」国と発音されたならオ列甲類が複数存在したことにはならないが、そのように解釈する根拠はまだ見いだせない。いずれにせよ、オ列甲類の複数存在問題は解決の糸口があるばかりか、この法則性は発音の可能範囲にある限定を与えてくれる。「好古都」が上代日本語の法則性に従うなら「ココト」や「コカト」とはならないが、「クカト」や「コカツ」は可能である。或いは直前の「都支」を「刀支県主(トキ)」、「弥奴」を「美濃県主(ミヌ)」として他に殆ど現れない「好」を「奴」の誤字と想定した「奴古都」は「額田国造(ヌカタ)」となり岐阜県?滋賀県に確定する。


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