那須雪崩事故
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那須雪崩事故
日付2017年3月27日
原因自然災害、雪崩
生存者54人
死者8人
行方不明者0人
負傷者40人
罪名業務上過失致死傷罪
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那須雪崩事故(なすなだれじこ)は、2017年(平成29年)3月27日栃木県那須郡那須町那須温泉ファミリースキー場付近で発生した雪崩事故[1]。春山登山講習会に参加していた高校の生徒や引率教員らが雪崩に巻き込まれ生徒7人と引率教員1人の計8人が死亡、計40人が重軽傷を負った[2]2000年(平成12年)以降に日本で起きた雪崩事故としては犠牲者が最大。
事故の概要

2017年3月25日から3月27日までの日程で栃木県高等学校体育連盟の主催で「平成28年度春山安全登山講習会」が開催され、当日の講習には栃木県立大田原高等学校栃木県立真岡高等学校、那須清峰高校、矢板東高校、栃木県立宇都宮高等学校、矢板中央高校及び真岡女子高校の生徒46名及び教員9名の計55名が参加していた[2]。講習最終日で当初は茶臼岳への登山が計画されていたが、午前6時15分頃に気象状況等から登山計画を中止して那須温泉ファミリースキー場ゲレンデ周辺での雪上歩行訓練に変更された[2]。テントキーパーとなった宇都宮高校2年生5名が残り、午前8時前から5つの班に分かれて班別行動を開始し、1班から4班が樹林帯の支尾根を登ることになり、女子生徒で構成される5班はスキー場の第1ゲレンデを中心に歩行訓練を行うことになった[2]。樹林帯の支尾根を登った1班は隊列前方に見えた岩まで行ってから引き返そうと歩き始めたが、午前8時30分頃から午前8時45分頃までの間に発生したとみられる雪崩に巻き込まれ、その後、2班、3班及び4班も雪崩に巻き込まれた[2]。この雪崩で講習参加者55名のうち、1班の生徒7名と教員1名の計8名が亡くなり、ほか4名が重症、3名が中等症、33名が軽症を負った[2]
春山安全登山講習会

1950年12月30日、谷川岳を登山中の栃木県立佐野高等学校山岳部員11名が雪崩に巻き込まれ、生徒教員計5名が死亡した事故を踏まえ[3]、登山知識と登山技術を向上させ、事故防止を目的に1958年5月に栃木県高体連と山岳連盟の共催で「第1回有雪期安全登山講習会」が始まりで、当初は不定期だったが、1964年より毎年3月に那須岳で開催されるようになった[4]。1965年度から栃木県高等学校体育連盟が独自に実施するようになり、その頃から名称が「春山安全登山講習会」となった[4]

2017年の春山安全登山講習会は栃木県高等学校体育連盟の主催、同登山専門部の主管で実施された[4]。初日に那須塩原市内で開会式、学科講習、幕営講習と設営、2日目に郭公沢周辺で班別の雪上訓練、3日目は学校別に茶臼岳に登山する予定だった[4]。講習会全体の責任者は、登山専門部会の委員長が務め、スキー場近くの旅館に本部が置かれた。

2017年に開催された春山安全登山講習会には7校から生徒54名が参加し、事故当日の講習には生徒46名及び教員9名の計55名が参加した[2]
班編成

本来計画の茶臼岳登山は参加校別に行動する予定だったが、計画変更により前日の実技講習の班構成のまま行うこととなった。

降雪が多く、登山専門部の委員長と副委員長、そして専門委員の3人が、スキー場や周辺の樹林帯を利用し、雪をかき分け進むラッセル訓練に切り替えると決めた。3人は登山歴22年ないし35年と長かった[5]

3日目の班構成および内訳
1班 - 栃木県立大田原高等学校山岳部12名、引率教員1名(大田原高校山岳部副顧問、登山歴1年)、講師(真岡高校教諭)。 - 大田原高校教員でもある委員長が本部の連絡役となったうえに、前日まで参加していた別の大田原高校の教員に学校での執務があったため、こういう編成になった[5]。2班 - 栃木県立真岡高等学校山岳部8名と栃木県立宇都宮高等学校生徒5名(2年生)、講師(真岡高校教諭)。3班 - 栃木県立矢板東高等学校生徒6名(2年生)と栃木県立那須清峰高等学校生徒5名、引率教員2名(那須清峰高校教員)、講師(矢板東高校教諭)。4班 - 矢板中央高等学校生徒5名と栃木県立宇都宮高等学校生徒8名(1年生)、引率教員1名(矢板中央高校)、講師(矢板中央高校教諭)。5班 - 真岡女子高等学校生徒4名と栃木県立矢板東高等学校生徒2名(1年生)、講師(真岡女子校教諭)。本部 - 委員長強豪校の大田原高校だけ一つの高校で班を作り、ほかは2校の山岳部を組み合わせて構成されていた。2班のうち宇都宮高校の生徒は装備の一部をテント外に置いたまま眠ったため使えなくなり、ラッセル訓練は不参加。
事故時の状況

1班 - 樹林帯の上の斜面を登り、隊列前方に見えた岩まで行って引き返す予定だったが、岩に向かって歩き始めて間もなく雪崩が発生した
[2]。副委員長は急斜面手前で止まるよう指示したが、前方の岩まで行きたいという要望があがり、これを副委員長が認め、同班のみ行動範囲が各教員に説明された場所より広がった。副委員長は、ふだん接している生徒でなく、名前もわからないため、止められずに進んでしまったと検証委員会に述べた[5]

2班 - 1班とは別の支尾根を登っていて雪崩に巻き込まれた[2]

3・4班 - 1班と同じ支尾根を登っていて雪崩に巻き込まれた[2]

5班 - 5班はラッセル経験のない女子生徒のみで構成されていた。5班はスキー場の第1ゲレンデを中心に歩行訓練を行うことになり、雪崩発生時は第2ゲレンデにいた[2]

通報

雪崩が発生したのは8時43分ころ、消防に最初に通報があったのは9時22分、救助の一次隊が到着したのは10時23分であった[5]

雪崩に巻き込まれた2班講師が無線で本部の委員長を呼び出したが、委員長からの応答はなかった。委員長は無線機を携行せず、宿泊費の精算などをしていた[5]。無線のやり取りを聞いた5班講師が、ゲレンデからスキー場のセンターハウスへ下山しつつ無線で2班講師に指示を仰ぐと「本部へ行き、雪崩発生の報告と救助要請するよう伝える」と指示を受け、本部まで10分ほど歩いて移動し、駐車場にいた委員長へ雪崩発生を報告。委員長は午前9時20分頃に消防と警察へ通報した[2]。なお本部への連絡に携帯電話も使おうと試みられたが寒さのため起動しなかった[4]。その後、午前9時30分頃に現場に到着した警察官に状況説明を行った[2]。「那須雪崩事故検証委員会報告書」によると雪崩の発生は午前8時30分頃から午前8時45分頃、警察や消防への通報は午前9時20分頃としている[2]
救助

警察や消防への通報が午前9時20分頃に行われた後、午前9時30分に栃木県警察本部から栃木県危機管理課に第一報、午前9時35分に栃木県危機管理課から栃木県教育委員会に第一報が送られた[2]

那須山岳救助隊が救助要請を受けたのは午前9時40分頃でスキー場に到着したのは10時30分頃だった[4]。また、那須地区消防本部からも第1次(4隊)、第2次(1隊)、第3次(4隊)、第4次(4隊)、第5次(1隊)が出動し、消防本部内に那須地区消防警防本部が設置された[4]。10時37分に県から陸上自衛隊第12特科隊宇都宮駐屯地)に災害派遣要請が行われた[4]

捜索活動終了後には栃木県立岡本台病院のDPATが救助者のメンタルケアのために派遣された[4]

「那須雪崩事故検証委員会報告書」による出場隊数及び人員は以下の通り[4]

消防機関 - 42隊(うち救急車14隊)。163名

警察 - 84名

自衛隊 - 35隊150名。

DMAT - 2隊8名

那須山岳救助隊 -13名

原因
雪崩の原因


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