那須町
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なすまち 
那須町
茶臼岳


那須町旗那須町章
1963年9月30日制定[1]

日本
地方関東地方
都道府県栃木県
那須郡
市町村コード09407-2
法人番号8000020094072
面積372.34km2

総人口23,065人 [編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度61.9人/km2
隣接自治体那須塩原市大田原市
福島県白河市西白河郡西郷村東白川郡棚倉町
町の木ゴヨウマツ
町の花リンドウ
町の鳥カッコウ
那須町役場
町長[編集]平山幸宏
所在地329-3222
栃木県那須郡那須町大字寺子丙3-13
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度01分11秒 東経140度07分15秒 / 北緯37.01975度 東経140.12097度 / 37.01975; 140.12097座標: 北緯37度01分11秒 東経140度07分15秒 / 北緯37.01975度 東経140.12097度 / 37.01975; 140.12097

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那須町(なすまち)は、栃木県北東部に位置し、那須郡に属するである。那須塩原市への通勤率は20.7%(平成22年国勢調査)。
地理

町の南西を那珂川が流れ、東側には八溝山地がある。北東部は黒川が流れ、途中までは福島県との県境になっている。北西部は茶臼岳朝日岳、白笹山などが聳え、その麓には大リゾート地の那須高原があり、町中央部は高久丘陵が占め、標高の下る大田原の方へ向かって扇状地となっている。町のほぼ中央を北東⇔南西方向に東北自動車道国道4号、東北新幹線(北部の約60%はトンネル区間)が通っている。東部をJR東北本線、また国道294号が南北方向に通っており、本町と福島県白河市の境には境の明神がある。また那須御用邸があり、ロイヤルリゾートしても知られる。
気候

標高が高いために極めて寒冷で、ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候に属する。冬季から春季にかけてしばしば氷点下5度を下回る。夏季も冷涼であり、8月の日平均気温は21.0℃と、旭川市の21.2℃と同水準である。降水はとりわけ夏季に多く、日照時間は短い。
那須高原
東経140度2.1分、北緯37度7.4分、標高749メートル

那須町(那須高原)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)12.7
(54.9)16.8
(62.2)21.1
(70)26.8
(80.2)29.6
(85.3)31.1
(88)33.2
(91.8)32.2
(90)29.5
(85.1)24.6
(76.3)21.0
(69.8)17.4
(63.3)33.2
(91.8)
平均最高気温 °C (°F)1.9
(35.4)2.7
(36.9)6.8
(44.2)13.0
(55.4)18.2
(64.8)20.7
(69.3)24.3
(75.7)25.4
(77.7)21.4
(70.5)16.1
(61)10.9
(51.6)5.1
(41.2)13.9
(57)
日平均気温 °C (°F)?1.7
(28.9)?1.3
(29.7)2.0
(35.6)7.8
(46)13.0
(55.4)16.4
(61.5)20.2
(68.4)21.0
(69.8)17.3
(63.1)11.8
(53.2)6.4
(43.5)1.1
(34)9.5
(49.1)
平均最低気温 °C (°F)?5.3
(22.5)?5.3
(22.5)?2.4
(27.7)2.6
(36.7)7.7
(45.9)12.3
(54.1)16.7
(62.1)17.5
(63.5)13.8
(56.8)7.7
(45.9)2.0
(35.6)?2.6
(27.3)5.4
(41.7)
最低気温記録 °C (°F)?11.8
(10.8)?12.1
(10.2)?10.4
(13.3)?6.0
(21.2)?2.3
(27.9)3.6
(38.5)8.7
(47.7)8.9
(48)3.2
(37.8)?1.2
(29.8)?6.1
(21)?10.2
(13.6)?12.1
(10.2)
降水量 mm (inch)52.6
(2.071)42.8
(1.685)101.6
(4)139.6
(5.496)180.8
(7.118)220.5
(8.681)305.7
(12.035)303.9
(11.965)305.3
(12.02)212.6
(8.37)89.2
(3.512)60.1
(2.366)2,014.7
(79.319)
降雪量 cm (inch)103
(40.6)79
(31.1)45
(17.7)7
(2.8)0
(0)0
(0)0
(0)0
(0)0
(0)0
(0)4
(1.6)55
(21.7)296
(116.5)
平均降水日数 (?1.0 mm)9.18.310.411.312.115.918.317.014.811.58.39.1146.0
平均月間日照時間131.0129.0156.4170.4169.1108.898.7115.398.9115.1130.1132.61,555.2
平均日照時間4.24.65.05.75.53.63.23.73.33.74.34.34.3
出典1:理科年表
出典2:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1977年-現在)[2][3]



歴史
旧石器時代

逃室に集落が形成される(迯室無土器文化遺跡)

縄文時代

ハッケトンヤ遺跡をはじめ200を超える縄文遺跡が町内に存在する

古墳時代

5世紀後半 ‐ 舟戸古墳群造られる。

飛鳥時代

630年 - 狩野三郎行広、
那須温泉を発見する(伝)

7世紀後半 - 堂平仏堂が建立される

奈良時代

737年(天平10年) - 小野朝臣一行、那須の湯へ湯治に向かう(『駿河国正税帳』)

791年(延暦10年) - この頃、追分明神が勧請される(伝)

鎌倉時代

1187年(文治3年) -
那須与一、三郎幹隆を芋淵に分知する(芋淵氏の祖)

1199年?1205年 - 那須資頼次男・資長、伊王野に分知される(伊王野氏の祖)

1201年?1210年 - 稲沢氏が起こる

1239年(延応元年) - 伊王野資長、伊王野館を築く

1256年(建長8年) - 芦野地頭ら、幕府より奥の大道の警護取締を命じられる

1267年(文永4年) - 伊王野資長、金銅阿弥陀如来立像などを造顕する

1322年(元亨2年) - 湯本喰初寺「題目碑」造られる(伝)

室町時代

1355年(文和4年) - 東寺合戦にて那須五郎以下一族郎党36人討死(伊王野・芦野・稲沢の名がある)

1399年(応永6年) - 熊窪八郎、正福寺へ鰐口を寄進

1443年(嘉吉3年) - 正慶寺の薬師如来立像付十二神将が造られる

1487年(長享元年) - 伊王野資清、伊王野城を築く。正福寺、釈迦堂山から伊王野館に移る

1499年(明応8年) - 芦野資興、
猪苗代兼載を芦野に招き連歌会を催す

1504年(永正元年) - 猪苗代兼載、このころ芦野に移住する(永正6年まで居住)

1505年(永正2年) - 那須家により「原方七人衆」が置かれる

1532年(天文元年) - このころ、芦野氏、芦野城を築く

1600年(慶長5年) - 関山の戦い、伊王野勢が上杉勢と関山で衝突し、勝利する。

江戸時代

1616年(元和2年) - 大沢の獅子舞が起こる(伝)

1633年(寛永10年) - 伊王野氏、改易される(子孫は
水戸徳川家や大田原家などに仕える)

1640年(寛永17年) - 伊王野村、伊王野村と両郷村に分村となる

1669年(寛文9年) - 芦野宿火災により伝馬役72軒が焼失

1689年(元禄2年) - 松尾芭蕉、高久・湯本・芦野へ立ち寄る

1691年(元禄4年) - 大丸温泉発見

1720年(享保5年) - 会津藩江戸廻米の那珂川漕運始まる(通称・黒川通舟)

1726年(享保11年) - 北沢村(芦野知行所)と荻久保村(黒羽藩)の山論で荻久保村が勝訴する。

1733年(享保17年) - 三森家住宅が建てられる

1786年(天明6年) - 大沢天稲荷社殿ができる(彫者師・石川幸右衛門)

1805年(文化2年) - 湯本温泉街、火災により全戸焼失


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