那須塩原駅*
西口(2022年2月)
なすしおばら
Nasushiobara
所在地栃木県那須塩原市大原間561.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度55分54.65秒 東経140度1分14.26秒 / 北緯36.9318472度 東経140.0206278度 / 36.9318472; 140.0206278
那須塩原駅(なすしおばらえき)は、栃木県那須塩原市大原間にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である[1]。
東北新幹線と、在来線の東北本線との接続駅となっている。東北本線は「宇都宮線」の愛称区間に含まれている。東北新幹線は「なすの」の一部が当駅を始発・終着としている。 かつては東那須野駅(ひがしなすのえき)と称し、塩原温泉郷の玄関駅である西那須野駅と、那須高原の玄関駅である黒磯駅という二つの特急停車駅に挟まれた、急行も停まらない小駅であった。東北新幹線の開業に際して新幹線停車駅に出世した。 東北新幹線の建設計画の仮称では新那須駅とされていたが、開業近くになり「塩原」という文字を入れてほしいという動きが出て騒動に発展した[2]。栃木県選出の国会議員のうち渡辺美智雄は「那須・塩原」、森山欽司は「那須」、広瀬秀吉は「那須野」を支持していた。1981年10月知事定例記者会見にて船田譲知事が収拾案として「那須塩原」を発表し11月10日に県の統一案として「那須塩原」を国鉄東京北管理局に提出したが、黒磯市や市議会、観光協会は知事が国鉄に提出した前後にも「那須」とするよう陳情を続けた[3]。当時の東京北鉄道管理局長であった山之内秀一郎が、1982年1月20日に最終的に「那須」と「塩原」を合わせた那須塩原駅に決めたが、山之内が口頭で最高幹部に辞意を伝えざるを得ないほど後にしこりが残ったという[2]。当初のローマ字表記は「Nasu-Shiobara」であった。 それから四半世紀後の2005年1月1日、黒磯市と西那須野町、塩原町は合併して那須塩原市となったが、新市名の選定理由の一つとして、新幹線の駅名となっている名称であることが挙げられているように[4]、この駅名は地名へと反映されることとなった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}その後[いつ?]駅名標が更新された際、ローマ字表記は「Nasushiobara」となった。 新幹線開通以降は、黒磯駅・西那須野駅に代わり、皇族が那須御用邸に向かう際の最寄駅として利用されている。
歴史
年表
1898年(明治31年)11月28日:日本鉄道の東那須野駅(ひがしなすのえき)として開業[5]。
1906年(明治39年)11月1日:鉄道国有法により国有化[5]。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により東北本線の所属となる。
1963年(昭和38年)9月10日:貨物の取り扱いを廃止[5]。
1982年(昭和57年)
6月23日:東北新幹線が開業[6][7]。那須塩原駅に改称[6][5]。みどりの窓口を設置[6]。
7月14日:東北新幹線によるお召し列車の初運転。大宮駅 - 那須塩原駅間で昭和天皇、香淳皇后が乗車[8]。
1984年(昭和59年)2月1日:荷物扱い廃止[5]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる[5]。
1999年(平成11年)3月3日:新幹線改札口に自動改札機を設置[9]。
2004年(平成16年)10月16日:東京近郊区間拡大により、東京近郊区間内の駅となる。また、ICカード「Suica」の利用が可能となる[10]。東北新幹線でSuica FREX定期券およびSuica FREXパル定期券の利用が可能となる(東京方面のみ)[10]。
2017年度(平成29年度):駅構内やコンコースがリニューアル[11]。
2018年(平成30年)
4月1日:宇都宮方面でタッチでGo!新幹線のサービスを開始[12][13]。
11月28日:開業120周年記念特別企画を実施[14]。
2020年(令和2年)
2月16日:東口のエレベーターの設置工事が完了。