那賀郡(ながぐん)は、和歌山県(紀伊国)にあった郡。 1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。 紀伊国の中心であり古くは「奈我」と表記し、『続日本紀』大宝3年(703年)5月9日条に「紀伊国奈我・名草の二郡をして布の調を停めて糸を献らしとむ……」とあるのが、郡名の初見とされている。その後、神亀元年(724年)10月7日条には「(天皇)行して紀伊国那賀郡玉垣勾頓宮に至りたまふ」とあり、「那賀」と表記されている[1]。 神名帳比定社集成
郡域
和歌山市の一部(吐前、金谷以東)
海南市の一部(別院、沖野々、木津、次ヶ谷、ひや水、海老谷以東)
有田市の一部(初島町里・初島町浜)
紀の川市の大部分(上鞆渕を除く)
岩出市の全域
海草郡紀美野町の全域
かつらぎ町の一部(新城字嶽原・長ノ盛)
歴史
古代
式内社
社名読み格付記社名所在地備考
那賀郡
表
話
編
歴
荒田神社 二座アラタノ小荒田神社和歌山県岩出市森
海神社アマノ小海神社和歌山県紀の川市神領
凡例を表示
近世以降の沿革
「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。(253村)
明治初年時点での知行
知行村数村名
藩領紀伊和歌山藩170村吉田村、山村、境谷村、押川村、相谷村、原村、白草村、中野黒木村、金池村、湯窪村、赤垣内村、馬場村、曽屋村、金屋村、畑毛村、波分村、西安上谷村、奥安上谷村、西坂本村、尼ヶ辻村、森村、堀口村、荊本村、西野村(現・岩出市)、宮村(現・岩出市)、清水村、高瀬村、備前村、中迫村、川尻村、今中村、山田村、野上野村、北大池村、東坂本村、新田広芝村、水栖村、大町村、高塚村、溝川村、岡田村、南大池村、西国分村、東国分村、西三谷村、今畑村、中畑村(現・紀の川市中畑)、神通村、南勢田村[2]、北勢田村[2]、重行村、池田新村、神領村、東山田村、西山田村、北中村、南中村、古和田村、豊田村、登尾村、枇把谷村、東三谷村、中三谷村、下井坂村[3]、中井坂村、畑野上村、尾崎村、花野村、上野村(現・紀の川市上野)、田中馬場村、西大井村、東大井村、辺土村、打田村、窪村、竹房村、黒土村、広野村、北大井村、赤尾村、高野村、段村[4]、段新田村[4]、満屋村、新在家村(現・和歌山市)、吐前村、大垣内村、金谷村[5]、田中村、新庄村、下三毛村、上三毛村、山崎村、丸栖村、北山村、前田村、神戸村、鳥居村、長原村、上野山村、国主村、尼寺村、岸宮村、長山村、西山村、下津野村、高津村、孟子村、野尻村、七山村、原野村、別院村、野上中村、沖野々村、木津村、椋木村、溝口村、野上新村、小畑村、動木村、柴目村、福井村(梅本川左岸)、長谷村、下佐々村、奥佐々村、東上谷村、西上谷村、冷水村、赤沼村、海老谷村、次谷村、九品寺村、中島村、上田井村、南志野村、北志野村、北長田村、長田中村、嶋村、深田村、松井村、粉河村、東毛村、中山村、藤井村、猪垣村、中津川村、東川原村、西川原村、上丹生谷村、切畑村、下丹生谷村、野上村、馬宿村、狩宿村、市場村(現・紀の川市名手市場)、東野村(現・紀の川市)、井田村、池田垣内村、西ノ芝村、西野村(現・紀の川市)、後田村、穴伏村、西野山村、江川中村、下村(現・紀の川市)、平野村、上村(現・紀の川市)、新在家村(現・紀の川市)、別所村
その他高野山領82村中村(現・紀の川市)、北脇村、横谷村、赤沼田村、西脇村、荒見村、杉原村、遠方村、善田村、大原村、黒川村、野田原村、脇谷村、市場村(現・紀の川市桃山町市場)、賀和村、小路村、神田村、上野村(現・紀の川市桃山町最上)、調月村[6]、北村、小野村(現・紀の川市)[7]、高尾村、小野村(現・海草郡紀美野町)[8]、福井村(梅本川右岸)、新荘村、中田村、梅本村、坂本村、井ノ口村、桂瀬村、高畑村、赤木村、鎌滝村、明添村、大角村、三尾川村、上ヶ井村、箕六村、津川村、永谷村、樋下村、市場村(現・海草郡紀美野町)、福田村、安井村、野中村、南畑村、西野村(現・海草郡紀美野町)、東野村(現・海草郡紀美野町)、松瀬村、釜滝村、国木原村、井堰村、蓑垣内村、宮村(現・海草郡紀美野町真国宮)、蓑津路村、花野原村、北野村、初生谷村、勝谷村、円明寺村、四郷村、垣内村、中畑村(現・紀の川市桃山町中畑)、峯村、根来窪村、滝ノ川村、中村(現・海草郡紀美野町中)、谷村、田村、菅沢村、松ヶ峯村、今西村、上村(現・海草郡紀美野町)、宮村(現・海草郡紀美野町毛原宮)、中村(現・海草郡紀美野町毛原中)、小西村、下村(現・海草郡紀美野町)、中番村、下番村、谷口村、馬場村、宮村(現・海草郡紀美野町長谷宮)
和歌山藩・高野山領1村勝神村
明治2年(1869年)8月 - 高野山領が堺県の管轄となる。
明治3年4月27日(1870年5月27日) - 堺県の管轄地域が五條県の管轄となる。
明治4年
7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が和歌山県の管轄となる。
11月1日(1871年12月12日) - 五條県の管轄地域が和歌山県の管轄となる。
11月22日(1872年1月2日) - 第1次府県統合により、全域が和歌山県の管轄となる。
東国分村の一部が分立して南国分村となる。
下井坂村の枝郷が分立して西井坂村となる。
明治8年(1875年) - 谷口村・馬場村・宮村(現・海草郡紀美野町長谷宮)が合併して長谷宮村となる。(253村)
明治8年(1875年) - 新荘村が中田村に合併。(252村)
明治11年(1878年) - 賀和村・小路村が合併して元村となる。(251村)
明治12年(1879年)
1月20日 - 郡区町村編制法の和歌山県での施行により、行政区画としての那賀郡が発足。