那覇バス
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出典検索?: "那覇バス" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年2月)

那覇バス株式会社
Naha Bus Co.,Ltd.
種類株式会社
本社所在地 日本
〒900-0021
沖縄県那覇市泉崎一丁目20番1号
業種陸運業
法人番号2360001004986
事業内容一般乗合旅客自動車運送事業
一般貸切旅客自動車運送事業
特定旅客自動車運送事業
代表者小川吾吉(代表取締役社長
資本金1,000万円
従業員数481人(2014年3月31日現在)[1]
主要株主第一交通産業(100%)
関係する人物八亀秀幸(初代社長)
合田憲夫(2代目社長・沖縄地区会長)
外部リンクhttps://nahabus.com/
特記事項:那覇バスとしてのバス営業開始は2004年7月18日
営業所数
那覇市内:2ヶ所 那覇市外:3ヶ所 計:5ヶ所
乗合部門営業路線数
那覇市内線:13路線 那覇市外線:7路線 計:20路線
観光部門営業路線数
定期観光:2路線 空港リムジン:4路線 計:6路線
車両数(2008年12月1日現在)
乗合部門(特定含む):134台 観光部門:107台 定期観光:3台 空港リムジン:5台 合計:249台
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那覇交通株式会社種類株式会社
略称銀バス
本社所在地 日本
〒900-0036
沖縄県那覇市西三丁目8-1
設立1951年(昭和26年)3月6日
業種陸運業
法人番号2360001004986
事業内容一般乗合旅客自動車運送事業
一般貸切旅客自動車運送事業
特定旅客自動車運送事業
代表者宮城善兵(初代)
白石武治(2代目)
城間信(3代目)
資本金8055万8千円
売上高34億円(2004年3月現在)
従業員数492人(2004年3月現在)
主要株主株式会社丸井(14%)
与那原石油販売株式会社(14%)
有限会社沖縄オートパーツ(14%)
有限会社ドウ(14%)
有限会社ファーティル(14%)
その他(30%)
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那覇バス株式会社(なはバス)は、沖縄県那覇市泉崎に本社を置き、路線バス観光バス、特定バス事業を営む会社。福岡県北九州市に本拠を置く全国ネットの大手タクシー会社である第一交通産業の100%子会社で、琉球バス交通沖縄バス東陽バスと並ぶ沖縄本島の民間乗合バス会社4社のうちの1社である。

ここでは、那覇バス株式会社の前身である那覇交通株式会社(なはこうつう)についても記載する。目次

1 概要

2 沿革

2.1 那覇交通誕生、首里バスの統合

2.2 最盛期

2.3 経営の危機、退職金問題

2.4 4社統合計画問題

2.5 民事再生法の申請、営業譲渡

2.6 那覇バスとしてスタート

2.7 サービスの充実

2.8 琉球バス交通との関係


3 年表

3.1 那覇交通以前

3.2 那覇交通

3.3 那覇バス


4 乗車方法

5 営業路線、及び所轄営業所

6 廃止路線、及び所轄営業所

6.1 那覇交通

6.2 那覇バス


7 バスターミナル・営業所

7.1 閉鎖されたバスターミナル・営業所


8 定期観光バス

9 車両

9.1 那覇交通時代

9.1.1 銀バス


9.2 那覇バス時代

9.2.1 車内放送

9.2.2 運賃箱



10 脚注

11 関連項目

12 参考文献

13 外部リンク

概要

社名の通り那覇市内線の運行を中心に行っている。那覇市内線16路線のうち、同社が13路線の運行を行っており、ほぼ独占状態である。高速バス・定期観光バス以外の市外線の営業エリアは北中城村イオンモール沖縄ライカム)以南であり、市外線は少ない。

保有車両台数は2016年3月現在、乗合車が164台、貸切車が84台の計248台[1]。沖縄本島のバス会社4社では、保有台数の多さは2番目、免許キロ数(415.5km)・運行系統数(30系統)の多さは3番目[1]

車両はいすゞ日野を中心に使用している(特に新車ノンステップバスは全車日野車両、中古ノンステップはいすゞが多い。後述する那覇バスの前身時代に730車を新車導入の際、いすゞ製の車両を使用していたこともあり、2000年代まではいすゞ車両が大半を占めていた。)。また、少数ではあるが、日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)三菱ふそうヒュンダイもある。

前身は1951年に誕生した那覇交通株式会社で、那覇交通時代は車体の色から「銀バス」という通称で親しまれていた(通称については後述)。1980年以降の運賃値上げ、サービス低下などにより利用者が激減し、2003年には民事再生法の適用を申請、倒産した。その後、2004年第一交通産業に全営業権を譲渡することで合意、2004年7月18日より那覇バス株式会社として営業を開始した。

なお、1990年ごろには琉球バス交通の前身の琉球バスとの合併計画があった。そのころの準備として、両社の観光バスのデザインやカラーをほぼ同じにしたりした(現在でも琉球バス交通に合併準備塗装観光バス車両が存在)が、県や関係機関から猛反対され、合併はなされなかった。那覇交通と琉球バスとの統合は白紙となったが、2006年9月より民事再生手続下にあった琉球バスが、琉球バス交通として第一交通グループに入ったことにより、現在2社のカラーが再び統一されようとしている。

沖縄県内で初めてノンステップ路線バスを導入した会社である。また、沖縄で初めてのバスロケーションシステムを導入した会社である(このシステムは後に琉球バス交通、2013年から沖縄バス・東陽バスを加えた4社共通のシステム「バスなび沖縄」へ拡充した)。
沿革
那覇交通誕生、首里バスの統合

1951年5月8日に那覇交通株式会社として誕生。戦後の沖縄で、本島6番目のバス会社として設立した。当初は、那覇糸満を結ぶ路線など4路線にて運行を開始したが、後に路線の開設等を行っていき、1974年ごろには17路線を運行するようになった(この時点で沖縄本島の路線バス会社は同社を含め5社にまで減っていた)。

那覇市内線の拡大を図る一方、同じく那覇市内でバス事業を行っていた首里バスとの激しい競争が行われ、効率的なバス運行を行うため沖縄総合事務局の指導のもと同社が首里バスを吸収統合することになり、1974年8月1日に統合が行われた。


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