那珂 通高(なか みちたか、文政10年11月24日(1828年1月10日) - 明治12年(1879年)5月1日)は、幕末・維新期の盛岡藩の儒学者。字は蘇陰。通称は五郎、後に通称より梧楼を号とした。初めは江?(えばた)を姓としていた。那珂通世は養子。 藩医江?道俊の次男。江?道俊は最初久保田藩の大館にいたが、藩医になったため、大館から盛岡に移住し姓も変える[1]。弘化元年に父が死去し、その年に藩主南部利綱の近習となるが、翌年に脱藩、江戸へ出て安積艮斎、東条一堂
目次
1 生涯
2 明治維新以後
3 史跡
4 江?五郎が登場する作品
5 脚注
生涯
後に明治政府に召されて大蔵省・文部省に出仕して「古事類苑」・「小学読本
」編纂に加わる。渋沢栄一・木戸孝允・陸奥宗光らと親交があったが、不平士族や自由民権運動に好意的であったために、萩の乱では前原一誠との内通の容疑で取り調べを受けた。著作に『慨世漫筆、はばかりながら』、『古事記便覧』、『操觚必究』、『学軌』、『鶏助集』などがある[1]。 墓所 東京都青山霊園[2] [ヘルプ] 典拠管理
史跡
江?五郎が登場する作品
みなもと太郎「風雲児たち」 リイド社
司馬遼太郎『 世に棲む日日』(文春文庫)
脚注
^ a b 『秋田人名大事典』秋田魁新報社、P.100
^ ⇒青山霊園に眠る人々ハナミズキ-2018年3月10日アクセス
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更新日時:2019年5月17日(金)03:51
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