選抜高等学校野球大会
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この項目では、春の選抜大会について説明しています。夏の大会については「全国高等学校野球選手権大会」をご覧ください。

選抜高等学校野球大会今シーズンの大会:
第96回選抜高等学校野球大会

競技高校野球
開始年1924年大正13年)
主催毎日新聞社
日本高等学校野球連盟
(後援・朝日新聞社
特別協力・阪神甲子園球場
チーム数32チーム
加盟国 日本
前回優勝健大高崎
(2024年)
最多優勝東邦
(5回)
公式サイト
www.jhbf.or.jp/senbatsu/2024/

メイン球場

第1回(1924年)のみ名古屋市・山本球場

第2回(1925年)以後阪神甲子園球場

開催取りやめ

1942年 - 1946年は太平洋戦争のため

2020年は新型コロナウイルス感染症流行のため[1]

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第95回(2022年)の開会式

選抜高等学校野球大会(せんばつこうとうがっこうやきゅうたいかい)は、毎日新聞社日本高等学校野球連盟(高野連)が兵庫県西宮市阪神甲子園球場にて、1924年大正13年)から毎年3月中旬・または3月下旬から4月上旬に主催している日本の高校野球大会である。大会旗および優勝旗の色は紫紺。優勝旗は紫紺色のため「紫紺の大優勝旗」と呼ばれている。「春の甲子園」「春の高校野球」「選抜(センバツ)甲子園」「National High School Baseball Invitational Tournament[2]」などと表現されており、 5年に1度(大会回数が5の倍数となる回)は記念大会として実施されている。歴代優勝校は、選抜高等学校野球大会歴代優勝校に記述。
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この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2014年11月)

夏の大会は地方大会の優勝校が機械的に出場しているが、春の大会については選考委員会によって出場校が決められる。高野連は出場校の選考基準を(1)大会開催年度高校野球大会参加者資格規定に適合したもの。(2)日本学生野球憲章の精神に違反しないもの。(3)校風、品位、技能とも高校野球にふさわしいもので、各都道府県高校野球連盟から推薦された候補校の中から地域的な面も加味して選出する。(4)技能についてはその年度の新チーム結成後よりアウトオブシーズンに入るまでの試合成績ならびに実力などを勘案するが、勝敗のみにこだわらずその試合内容などを参考とする。(5)本大会はあくまでも予選をもたないことを特色とする[注釈 1]。したがって秋の地区大会は一つの参考資料であり、本大会の予選ではない。

としている[3]。第88回大会(2016年)からの改訂により、選考における試合内容の考慮、および秋季大会の位置づけが明記された。

また、出場校は第55回大会(1983年)から通常は32校、記念大会でも36校[注釈 2]であるため、出場校が1校もない府県が毎回生じる(東京都北海道は必ず1校以上の出場が保障されている)。逆に、好成績の府県からは2校以上選出される可能性もある(#出場校に関する記録を参照)。

出場校の選考は21世紀枠→一般選考・明治神宮大会枠の順で行われ、各都道府県の高野連推薦校の中から秋季地区大会(東京都大会・北海道大会は地区大会に相当)と府県大会の実績と地域的なバランスを考えた選考を前提としている。ただし選考会では高野連役員の意思が反映されるため、秋季地区大会で初戦敗退ながらも選ばれる学校もある。出場校決定後に組み合わせ抽選会を行いトーナメント方式で頂点を決め、2校出場した都道府県代表校は決勝戦まで当たらない様に配置させる。そのため、同じ都道府県代表校の対戦の機会は非常に少ない。組み合わせ抽選会は毎年開会式1週間前の9時から行い、各地区の出場校が多い学校から決定する。選手宣誓は出場校全校の主将によるくじ引きで決定する。ただし、第83回大会2011年)のみ奥島孝康日本高等学校野球連盟会長が抽選で選んだ。

選手の学年は年度を跨ぐため、新年度の学年で紹介される。

現在では、以下の枠が与えられている。
現存する枠
一般選考枠

1947年、小倉中学(現:小倉高校…福岡)が春大会で準優勝、夏大会で九州勢で初優勝して九州地区の中学校の野球熱が高まったとき、朝日新聞西部本社運動部の芥田武夫部長は全国に先駆け、「全国中等学校野球連盟九州支部」を組織し、秋に第1回九州大会を鹿児島の鴨池球場(現:鴨池市民球場)で開催、大成功を収める。他の地域も九州大会を範にして翌秋から地区大会を行うようになり[4]、以後、新チームで臨む最初の公式大会(実質的な新人トーナメント戦)となる秋季各都道府県大会・地区大会(全国10地区)の成績が春大会出場校・並びに補欠校を決める際の重要な選考資料となっている。

基本的には秋季大会の成績をもとに、地域性も考慮して決定する。ここで出場29校と補欠(代表校の出場辞退に備えるもので、各地区につき1,2チーム程度)を選出する。

関東東京地区の残り1校は両地区を比較した上で選出する。

東京のみ、秋季大会が関東の枠組みから外れているため、単独選考となっている。2003年まではほぼ2枠で固定されており、それゆえ、1位校と2位校が揃って選出されるケースが多かった。背景には、毎日新聞東京本社の意向が反映しているともいわれる。21世紀枠への振り替えなどで出場枠が減枠され、関東との比較となった2004年以降は1枠となる年が多くなっている。

山梨県関東地区大会参加のため関東枠で選考される。

かつては近畿地区の枠は7校であり、2府4県から1校ずつ選ばれてもさらにもう1校枠があった。そのため近畿のいずれかの府県からは必ず2校選出されていた。

近畿地区の枠が関東地区より多いのは、開催地である甲子園球場の地元であるほか終戦直後GHQ連合国軍総司令部)から「なぜ甲子園大会が2つもあるんだ? 1つでいいじゃないか?」という指摘に対して当時の毎日新聞大阪本社編集局長(後に社長)の本田親男は「春と夏では違う意義がある。選考基準も違う」と説き伏せて存続させた影響が大きい[5][6][7]

中国・四国地区の枠が東海地区よりも多いのは、甲子園球場に比較的近いほか夏の選手権大会が1978年の第60回大会までは5年おきの記念大会を除きすべての都道府県から代表を出さなかったこともあり強豪校がもともと多かった中国・四国地方では代表決定戦で涙を呑む学校が後を絶たなかったため枠を多くとったものと思われる[8]


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