遥かなティペラリー
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It's a Long Way to Tipperary"It's a Long Way to Tipperary", performed by Albert Farrington (1915)
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『遥かなティペラリー』(It's a Long Way to Tipperary)あるいは『ティペラリーの歌』(Tipperary Song)とは、イギリスである。日本では『チッペラリー』あるいは『チッペラリーの歌』とも呼ばれる。目次

1 概要

2 歴史

2.1 人気の発端

2.2 訴訟


3 歌詞

3.1 元歌詞

3.2 日本語訳


4 映画などでの使用

5 替え歌、派生作品

6 脚注

7 参考文献

8 外部リンク

概要 楽譜のカバー(1912年版) 第一次世界大戦中の英国で発行された楽譜のカバー ステーリーブリッジに立てられたジャック・ジャッジと英軍兵士の銅像

ジャック・ジャッジ(英語版)とヘンリー・ジェームズ・ハリー・ウィリアムズ(Henry James Harry Williams)によって作詞・作曲された。実際にはジャッジが単独で作曲したとも言われるが[1][2]、ウィリアムズの遺族はウィリアムズが単独で作曲したのだとしている[3]。また、曲の著作権についてはウィリアムズのものとされており、これはギャンブラーでもあったジャックがウィリアムズとの賭けに負けた際、金の代わりに権利を譲った為だという[3]

イギリスでは現在でも人気のある曲で、ウィリアムズの遺族は2014年の時点でもこの曲の印税から毎年30,000ポンド以上の収入を得ていた[3]第一次世界大戦中にイギリス軍の将兵によって広く愛唱されたことから、第一次世界大戦を象徴する軍歌としても記憶されている。
歴史

ジャック・ジャッジとハリー・ウィリアムズは、ちょうど19世紀から20世紀に移り変わる頃に出会い、以後パートナーとして多くの曲を共同で作曲していた。ジャックが歌手、ウィリアムズが音楽家という役割だった[3]。1909年、彼らは『遥かなコーンメイラ』(It's A Long Way To Connemara)という曲を書き上げた[3]

それから3年後の1912年、ジャッジはステーリーブリッジ(英語版)のミュージックホールにて「一晩で曲をステージに送れるか?」という5シリングの賭けを受け、『遥かなコーンメイラ』を『遥かなティペラリー』として書き直した[3]。題材にティペラリー(英語版)が選ばれたのは、ジャッジの両親がアイルランド人で、また祖父母がティペラリーの出身だった為であるという[4][1]

この曲はしばしば1907年に発表された『ティペラリー(英語版)』(Tipperary)なる曲と混同される。これらは全く別の曲だが、ビリー・マーレーは『遥かなティペラリー』も『ティペラリー』も共に歌っている。ビリー・マレイはアメリカン・カルテットと共に『遥かなティペラリー』を行進曲として歌い上げ、間奏には『ルール・ブリタニア』の一部を挿入している ⇒[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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