遥かなティペラリー
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『遥かなティペラリー』(It's a Long Way to Tipperary)あるいは『ティペラリーの歌』(Tipperary Song)とは、イギリスである。日本では『チッペラリー』あるいは『チッペラリーの歌』とも呼ばれる。
概要楽譜のカバー(1912年版)第一次世界大戦中の英国で発行された楽譜のカバーステーリーブリッジに立てられたジャック・ジャッジと英軍兵士の銅像

ジャック・ジャッジ(英語版)とヘンリー・ジェームズ・ハリー・ウィリアムズ(Henry James Harry Williams)によって作詞・作曲された。実際にはジャッジが単独で作曲したとも言われるが[1][2]、ウィリアムズの遺族はウィリアムズが単独で作曲したのだとしている[3]。また、曲の著作権についてはウィリアムズのものとされており、これはギャンブラーでもあったジャックがウィリアムズとの賭けに負けた際、金の代わりに権利を譲った為だという[3]

イギリスでは現在でも人気のある曲で、ウィリアムズの遺族は2014年の時点でもこの曲の印税から毎年30,000ポンド以上の収入を得ていた[3]第一次世界大戦中にイギリス軍の将兵によって広く愛唱されたことから、第一次世界大戦を象徴する軍歌としても記憶されている。
歴史

ジャック・ジャッジとハリー・ウィリアムズは、ちょうど19世紀から20世紀に移り変わる頃に出会い、以後パートナーとして多くの曲を共同で作曲していた。ジャックが歌手、ウィリアムズが音楽家という役割だった[3]。1909年、彼らは『遥かなコーンメイラ』(It's A Long Way To Connemara)という曲を書き上げた[3]

それから3年後の1912年、ジャッジはステーリーブリッジ(英語版)のミュージックホールにて「一晩で曲をステージに送れるか?」という5シリングの賭けを受け、『遥かなコーンメイラ』を『遥かなティペラリー』として書き直した[3]。題材にティペラリー(英語版)が選ばれたのは、ジャッジの両親がアイルランド人で、また祖父母がティペラリーの出身だった為であるという[4][1]

この曲はしばしば1907年に発表された『ティペラリー(英語版)』(Tipperary)なる曲と混同される。これらは全く別の曲だが、ビリー・マーレーは『遥かなティペラリー』も『ティペラリー』も共に歌っている。ビリー・マレイはアメリカン・カルテットと共に『遥かなティペラリー』を行進曲として歌い上げ、間奏には『ルール・ブリタニア』の一部を挿入している ⇒[1]
人気の発端

第一次世界大戦中の1914年8月13日、ブローニュにてアイルランド人連隊「コノート・レンジャーズ(英語版)」がこの曲を歌って行進した。その場に居合わせたデイリー・メール紙の特派員ジョージ・カノック(George Curnock)は1914年8月18日付の同紙でそれを報じ、ここから英陸軍の他部隊でも愛唱されるようになったのだという[1][3]。1914年11月には当時世界的人気テノール歌手だったジョン・マコーマックによって録音されている[5]。パトリシア王女カナダ軽騎兵連隊(英語版)では現在でも行進曲の一部として使用している。
訴訟

1917年、アリス・スミス・バートン・ジェイ(Alice Smyth Burton Jay)は、『遥かなティペラリー』は彼女が1908年にアラスカ・ユーコン・太平洋博覧会(英語版)においてワシントン・アップル・インダストリー( Washington apple industry)の為に歌った曲を模倣しているとして、レコード販売元のChapell & Co.に対して100,000ドルの訴訟を起こした。彼女の歌の歌い出しは「I'm on my way to Yakima.」であった[6]。裁判所はヴィクター・ハーバートを専門家として呼び出し[7]、1920年には『遥かなティペラリー』の作者らがシアトルを一度も訪れていない事が証明され、またヴィクター・ハーバードがこれらの曲に著作権上問題になるほどの類似点を見いだせないという見解を明らかにした為、この訴えは棄却された[8]
歌詞


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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