遠雷
作者立松和平
国 日本
言語日本語
ジャンル長編小説
刊本情報
刊行『遠雷』- 河出書房新社 1980年6月
『春雷』- 河出書房新社 1983年9月
『性的黙示録』- トレヴィル・リブロポート 1985年10月
『地霊』- 河出書房新社 1999年11月
『遠雷四部作』- 河出書房新社 2000年12月
受賞
第2回野間文芸新人賞(1980年)
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『遠雷』(えんらい)は、立松和平の1980年の小説。野間文芸新人賞を受賞[1]。栃木県宇都宮市を舞台に、都市化されていく近郊農業の欲望や矛盾が噴き出ていく様を描く[2][3]。「遠雷」「春雷」「性的黙示録」「地霊」と続く4部作の第1作に当たり[4]、全体として都市近郊の農村青年の絶望的な状況を描いている。本項目では、これを原作とした1981年の映画についても記述する。 栃木県の都市近郊で、満夫は両親とともに農業を営んでいた。兄の哲夫は銀行員として東京に出て、埼玉県に家庭をもっている。そのなかで、工業団地と住宅団地がつくられることになり、満夫一家は土地を手放し、工業団地にできた工場に勤める。しかし、それも長続きはしない。父は家を出て愛人と同棲する。満夫はそれでも、わずかに残った土地にビニールハウスを建て、トマトの栽培を始める。その中で見合い相手のあや子と結ばれ、結婚を決めるが、トマトは病気にやられて、栽培を断念せざるを得なくなる。満夫とあや子の結婚式の日、満夫の祖母は老衰で亡くなり、遠雷の音が徐々に近づいてくるところで作品は閉じられる。 この作品の背景となっている工業団地は、宇都宮市の瑞穂野工業団地 遠雷 1981年4月24日公開。主演:永島敏行、監督:根岸吉太郎[6]。 日活ロマンポルノ出身の根岸吉太郎監督初の一般映画[7]。 何人もの監督が映画化権を争った[8]。ATG代表の佐々木史朗は、本作を根岸吉太郎の監督デビュー作にしたかったが[7]、待ってる間に根岸が7本撮ってしまい、結果的に根岸の監督8作目になった[7]。根岸も立松和平の『ブリキの北回帰線』を映画化したいと考えていたため、ようやくオファーを受けた[7]。 根岸は地方に対する思い入れはなかったが、描きたい人がたまたま農村にいたことで舞台が栃木になった[7]。脚本の荒井晴彦とは、以前から組みたいと思っていたという[7]。 賛否両論を呼んだのがビニールハウス内でのジョニー大倉の独白シーンの長回し[7]。実際には1カットではなく、3カットであるが[7]、カメラは永島敏行の視点で正面からのカメラでジョニー大倉が延々と喋り続ける。根岸は「ずっとカメラがある方が力を生むんじゃないかと、聞いてる永島君と、観てる人が同じ気持ちになれるんじゃないかなという...それに賭けてみた」と話している[7]。本作を鈴木尚之を団長とする日本シナリオ作家協会の代表団が中国雲南省の山奥まで持って行ってシンポジウムを開いたが、このシーンを中国の映画人が辛辣に貶し、鈴木が「こんな名作をこのまま言われっ放しじゃ帰れない」と昼食を挟んでシンポジウムを続け、いかに狙いとしてこれが素晴らしいか、中国の映画人を説得したという[7]。 栃木県宇都宮市[2]。
あらすじ
背景
映画
監督根岸吉太郎
脚本荒井晴彦
出演者永島敏行
ジョニー大倉
石田えり
横山リエ
ケーシー高峰
音楽井上尭之
撮影安藤庄平
編集鈴木晄
製作会社にっかつ撮影所
ニュー・センチュリー・プロデューサーズ
ATG
配給ATG
公開 1981年10月24日
上映時間135分
製作国 日本
言語日本語
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キャスト
和田満夫:永島敏行
中森広次:ジョニー大倉
花村あや子:石田えり
カエデ:横山リエ
満夫の祖母:原泉
満夫の母:七尾伶子
カエデの亭主:蟹江敬三
あや子の母:根岸明美
和田哲夫:森本レオ
和田敏江:鹿沼えり
農協職員:江藤潤
チイ:藤田弓子
満夫の父:ケーシー高峰
スタッフ
監督:根岸吉太郎
原作:立松和平
脚本:荒井晴彦
企画:多賀祥介
製作:樋口弘美・岡田裕・佐々木史朗
制作補:成田尚哉・栗原啓祐
撮影:安藤庄平
美術:徳田博
音楽:井上尭之
録音:飛田喜美雄
照明:加藤松作
編集:鈴木晄
助監督:中原俊弘
製作
ロケ地
作品の評価
受賞歴
第55回キネマ旬報賞
日本映画ベスト・テン第2位
読者選出日本映画第4位
主演男優賞:永島敏行(『幸福』と合わせて)
第24回ブルーリボン賞
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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